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『 1年2組 学級日誌 』 (新長編小説)
・・・半世紀前の女子高校の学級日誌・・・
(昭和47〈1972〉年4月~48年3月まで)
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【2月24日(土) 晴 53番 Y・Y】
『二十歳の原点』
(高野悦子著)の事を書きます。
クラスの子が
「高野悦子」を知らないというので、
簡単に書きます。
『二十歳の原点』は、
彼女が
「立命館大学」の2回生、
1969年1月2日から
3回生の6月22日までの
学生生活を中心に、
理想と現実のギャップや、
思春期の悩みや、
「生と死」の間で
ぐらぐらと揺れ動く心情を、
鋭い切り込んで書いている
日誌です。
M先生は
経験なさったと言ってらっした
「 学生運動 」のことが、
いっぱい出てきます。
私もその時代に
大学に進学したら、
きっと、
ヘルメットを被って
参加していたと思います。
母が時々
「あんたはすぐに感化される」
と言いますが
当たっています。
高野悦子さんが
成人の日の
1月15日、
「独りであること、
未熟であること、
これが私の
二十歳の原点
である」
と書いていますが、
わたしは十六歳の今
「独りであること、
未熟であること、
これが私の
十六歳の原点
である」
と思えるようになっています。
6月22日の
最後の日記の
その最後に、
「旅に出よう」で始まる「詩」が、
彼女の運命を
案じするかのような、
象徴的な内容が
印象に残っています。
彼女は学生運動を通して
失恋と、
人間関係の葛藤(かっとう)と、
挫折(ざせつ)によって
「 自殺 」します。
私は自殺は絶対にしません。
神様のお許しがありませんから。
でも、正直に書くと、
私は「弱い」です。
「いつも、悩んでいます。」
「いつも、苦しんでいます。」
話しは変わって、
以前にも書きましたが、
私の家には「 猫 」が2匹いるんです。
黒トラと白ネコちゃん。
去年の11月、
日本に「パンダ」が
初めてやって来た時、
白ネコの方に目の回りを
黒く塗ってやったのを
覚えていますか?
あれから三ヶ月ですが、
今も
「パンダネコ」です。
面白いですよ。
やっぱり「シロネコ」ですね。
「いつも、
尾も白い……。」
M先生、
一年間ありがとうございました。
私はまた元気に頑張って
生きていきます。
先生に会えて良かったです。
頑張って生きていく事の大事さを
学んだような気がします。
先生も気を強く持って、
か弱いけれど、
口のうるさい乙女達を
お導き下さい。
先生は 良い人ですね。
捻(ひね)くれていた私を 少しだけ、
真っ直ぐに生きていくように
導いてくたさったように思えます。 さようなら
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人間って、
弱いもので、
だって自分一人で
生きているのではないんだから……。
君も書いているけれど、
僕は最初は
「より良く生きる」が
モットウだったけど、
僕も弱くて、
「ああ、自分はダメな人間なんだ、
と感じて、
いつも、悩んだり、
苦しんだりしています。」
でも、何かの時に、
本や人の言葉によって、
「勇気というか、力というか、
気力を取り戻して生きている」
オオバーだけど、
毎日自分自身の戦いみたいに生きている。
ただ出来る限り、
人を傷つけることだけはしないでおこう、
と思っている。
でも、気付かない内に
人を傷つけていることだってある。
すると、自分が何かを行ったり
行動したりする事によって、
人を傷つけていると考えると、
自分は何も行動出来なくなってしまう。
そこで、僕は高校時代、
すごく悩んでしまった。
そして、人と関係するような事は
何もしなくなったことがあった。
ただ、本を読むだけの毎日で、
他は何もしなかった。
「無行動」の人間になってしまった。
でも今は、その「無行動」あるいは
「精神的 暗中模索(あんちゅうもさく)」
から脱皮して、
「よりよく生きる」ことにした。
むろん、そこに到達するまでには、
いろんな事があったけど、
でも今は、まったく振り出しである
「よりよく生きる」ことになった。
……ああ、難しい……。
芥川賞作家の
「庄司薫(しょうじかおる)」さんの作品に、
上に書いたような悩みが出てくる。
Y・Yさん、
読んだことがある?
ぜひ、読んで下さい。