「1年2組学級日誌」の始めのページへ 戻る
『 1年2組 学級日誌 』 (新長編小説)
・・・半世紀前の女子高校の学級日誌・・・
(昭和47〈1972〉年4月~48年3月まで)
|
【11月6日(月)曇時々小雨 52番 Y・T】
今、ヤンリクを聞きながら
(11時45分)書いてます。
今日は何故か落ち着かない一日で
日誌を書いています。
何故落ち着かず、
こんなに遅くなってしまったのか?
今日、
「北陸トンネル内で食堂車が出火」して、
たくさんの人が亡くなったりけがをしたり、
私、すごくショックです。
新聞やテレビで見る悲惨な光景。
私の母が
「この人達は
こんな運命やったんやなー」
と呟いた時、
私は、
「ドキッ」としてしまって……。
これから先、
いつどんな事件に巻き込まれて
命を落とすかもしれない、
そう思うと、
とても生きていくのが
恐くなってしまいます。
私は、自分の周りにいる人達が
どこかに言ってしまったり、
無くなったりすると、
とても寂しくまた
悲しくなるんです。
いつでも私の周りに
いて欲しいと思うんです。
そう親しくない人でも
こんなことを思う
甘いかもしれませんが、
でもいつも誰かに
見つめられていたいんです。
友達とは、いつも元気に笑い合っています。
これからも続けて行きたいです。
悲惨な事件など絶対許せません。
いつまでもいつまでも
一生の友達でいたい。
もうやめます。
早く床について、
早く起きなければ、
また遅刻しそうになります。
私寝坊だから、
結婚してからのことを考えると
憂鬱(ゆううつ)です。
「お嫁さん失格」になっちゃう。
今から悪い習慣を直さなければ、
お嫁ちゃんに行けなくなっちゃう。
お休みなさい。
====================/=================/==================
今日(11月7日)の新聞、
「ハイ・ジャック」と
「北陸トンネル内の火事」ばかりです。
死者29名、
負傷者680名。
悲惨なことばかりが書かれてある。
悲しいことだ。
しかし、ただ一つだけ、
ぼくの心を喜ばした記事があった。
『朝日新聞 地獄で仏
あの若者ら
暗ヤミの北陸トンネル内
失神の乗客
次々救助
励まし抱き上げ救援車へ
「放って行けなかった。
死ぬのか、と思ったとき
ボサーと死ぬより出来るだけ
何かしてから死のうと思って。
立山3号(救援車)が来た時は
逃げようと思ったが、
それまでみんなを励ましていたのに
自分だけ逃げ出しては悪いと思った。』
この記事のお陰で、
荒れすさんだ心が
少し和らぐ心になるのを覚えた。
このところの
明るいニュースは、
「 パンダ 」位だったから……。
これでいいのかなあ、
日本の国。
平和な記事が必要だと思う。