「マルタン丸山」のホーム・ページです。

トップページへ・・・
「小説」の見出しページへ
「1年2組学級日誌」の始めのページへ 戻る

『  1年2組 学級日誌 』  (新長編小説) 
      ・・・半世紀前の女子高校の学級日誌・・・
        (昭和47〈1972〉年4月~48年3月まで)



  



【6月23日(金)曇り 55番W・T】

 いよいよ、出席番号が

最後の「私の番」が来た。

「花も恥じらう乙女」が、

55人もおり、

選りによって

私が最後の出席番号とは……。

(でも、「W」の名字では、

仕方ないね!!!)


入学式以来、

この日の来るのをどんなに

心配だったか……。

もともと英語と国語の大嫌いな私だから、

この日誌を書くのがどんなに苦手か。

しかし、始めのうちは、

出席番号が一番最後だから、

と心に言い聞かせたものの、

どっしりと重くなった

大学ノートを手渡されて、

電車に乗ったものの、

さて、何を書こうかと

心配でならなかった。

家に帰って初めから

一つ一つ読んでいると、

どの人もみんな上手に書いてある。

私には、なかなかこれだけ書けない。

今更ながら、国語の力の足りなさが

つくづく分かった。

こんなに国語が嫌いだのに、

私は国語の先生に縁(えん)がある。

中学3年間の内2年まで

担任が国語の先生で、

今また、高校に入学してからも

国語の先生だ。

こんなに国語の先生に縁がありながら

国語が嫌いとは……。

しかし、M先生の国語が

好きになられた時の話しを聞き、

私も好きになるように努力しようと

思っているが、

なかなか難しい。

しかし、今までと違って、

授業が楽しくなって来たので、

ちょっとは好きになれるかも

知れないような気がします。


 私の家族を紹介します。

父は、46歳。

税務署に勤務しているが、

3年に一度は、転勤する。

職業柄、曲がったことが嫌いで、

一見堅そうにみえるが、

気の良い人だと、

母は言います。

几帳面で

仕事は念入りにする事は、確かだ。

母も46歳。

中学校に勤務し、

父と違って非常に厳しい。

家中で一番恐いのは、この母だ。

しかし、なんでも相談に乗ってくれるし、

私の事を思ってくれるのも

この母だ。

だから、学校で有ったことや、

友達の事は、何でも話す。

兄は、K大学4年理工科だが、

あまり勉強は好きでないらしく、

テスト1ヶ月前から必死でするが、

それ以外の時は何もしないで遊んでいる。

祖父は70歳で、

働くことが好きで、

じっとしておれない性分だと、

祖母がいつも言っている。

月に3回位、東京に行き、

1日で往復します。

早朝家を出て

夜中の12時頃に帰ってくる。

祖母は68歳で、

家の留守番をしている。

私が学校から帰ってくると、

「お帰り」と言ってくれるのは、

いつもこの祖母です。

どこかへ行ったときは、

いつもお土産を買ってきて

くれるのもこの祖母です。

だから私は好きです。

母と違って非常に優しく、

母に叱られた時も

いつも私を連れに来てくれる。

 最後に私。

書道が大好きです。

暇さえあれば字を書くのです。

小学校5年生の時、

ふとした事から好きになり、

それから練習したのです。

(普通の子は、2年生が多いようです。

私は遅れているようです。)

中学3年生まで、勉強もしないで、

書道ばっかりしていました。

そのくせ、日本学書展や関西書道展でも、

特選がとれず、いつも準特選です。

(かっこ悪いです。)


 中学3年の3学期の事です。

勉強もしないで

習字ばかりやっている私を見かねて、

母は、書道の用具を

私の分からない所へ入れて、

出してくれません。

いつものように学校から帰ったら、

私は字を書こうと思って

机の所へ行ったのですが、ありません。

冬休み頃から母は

「勉強しないでそんな事ばかりしていたら、

書道用具を隠すぜ」とは、

言っていましたが、

まさかと思っていた私には、

ショックでした。

高校進学・習字の練習、

二つの内のどちらかを取るのです。

頭の良い人なら、

どちらも取れるでしょうが、

私には無理です。

1年から勉強のしていない私ですもの、

3学期になってから

3年間の勉強をするとなれば、無理です。

母に反抗して、進学をあきらめ、

就職にしょうと思いましたが、

就職希望者はほとんどいません。

仕方なく、

その時から受験勉強を始めました。

日夜3年間の勉強のツケが

すへて押し寄せてきました。

5教科との格闘でした。

 そして、希望する「JK」に合格し、

ホットしましたが、

この頃は宿題等で疲れて、

好きな習字も練習する時間が少なくなり、

もともと身体が丈夫でない私は、

クラブにも入らず、

通学と校風になれるのが精一杯です。

では、この辺で、さようなら。

=======/===========/========

 習字のことだけど、

辛(つら)くて悲しく、しかし、

嬉しい思い出がある。

小学校4年の時に「

習字教室」に習いに行った。

それまでは、大変汚い字というか、

下手な字しか書けなかったので、

親から行かされた。

実は、字が下手だけではなく、

落ち着きがない子だったので、

行かされた。

でも、そこの書道の先生は、

「自分の気持ちを

思い切り込めて書けばいいから」

というので、力一杯込めて書いた。

今でいう

「前衛書道」だったのか、

褒められた。

気をよくして、学校の習字の時間も、

力を込めて書いて提出したら、

教室の後ろの掲示板に、

五重のまるを付けて張り出された。

嬉しかった。

が、同じクラスの、腕力の強い生徒が

「先生の手本の字を、

上からてつしたんやろ!

汚いやつや、卑怯(ひきょう)者!」

と罵(ののし)った。

それから後は、喧嘩(けんか)になって、

シャツはビリビリに破れ、

顔には左目に痣(あざ)ができ、

大変だった。

相手は、背も高い、体重も重い、

腕力は持ってるだから、

まあ、一方的にやられた。

その後、二人とも職員室の前に

1時間ほど立たされた。

その後、先生が二人に握手をさせて、

仲直りさせた。

何となく気持ちが修(おさ)まった。

仲直り(和解)して、友達になった。

 次の日から、何となく

クラスのみんなが

声を掛けてくれるようになり、

学級委員に選ばれた。

身体の小さなぼくが、

大きく強い子と喧嘩した

スゴイ奴だという事で、選ばれた。

その後、ぼくの左眼の青黒い痣の変わりに、

自転車を買って貰った。

学級委員になったご褒美(ほおび)だ。

父親がよくやった、

と買ってくれた。

母親は、カンカンになって

怒ってた。

 君も習字をガンバッテ下さい。

書道クラブがあるから

入部したらいいと思う。

頑張ってください。    以上

=======/========/========



・・・「6月24日 1番」へ 進む・・ M先生に謝りたい・・・

・・・「6月22日 54番」へ 戻る・・・ ボーイフレンド・・・

・・・「6月21日 53番」へ 戻る・・・ 神様はいるのか・・・

・・・「6月17日 52番」へ 戻る・・・ 固定観念・・・

・・・「6月17日 51番」へ 戻る・・・ 友情・・・

・・・「6月16日 50番」へ 戻る・・・

・・・「6月15日 49番」へ 戻る・・・

・・・「6月14日 48番」へ 戻る・・・



・・・「6月13日 47番」へ 戻る・・・



・・・「6月12日 46番」へ 戻る・・・

・・・「6月11日 45番」へ 戻る・・・

・・・「6月10日 44番」へ 戻る・・・

・・・「6月9日 43番」へ 戻る・・・

・・・「6月8日 42番」へ 戻る・・・



・・・「6月7日 41番」へ 戻る・・・

・・・「5月27日 40番」へ 戻る・・・

・・・「5月26日 39番」へ 戻る・・・

・・・「5月25日 38番」へ 戻る・・・

・・・「5月24日 37番」へ 戻る・・・

・・・「5月23日 36番」へ 戻る・・・

・・・「5月22日 35番」へ 戻る・・・

・・・「5月21日 34番」へ 戻る・・・

・・・「5月20日 33番」へ 戻る・・・

・・・「5月19日 32番」へ 戻る・・・

・・・「5月18日 31番」へ 戻る・・・

・・・「5月17日 30番」へ 戻る・・・

・・・「5月16日 29番」へ 戻る・・・

・・・「5月15日 28番」へ 戻る・・・

・・・「5月13日 27番」へ 戻る・・・

・・・「5月12日 26番」へ 戻る・・・

・・・「5月11日 25番」へ 戻る・・・

・・・「5月10日 24番」へ 戻る・・・

・・・「5月9日 23番」へ 戻る・・・

・・・「5月8日 22番」へ 戻る・・・

・・・「5月6日 21番」へ 戻る・・・

・・・「5月2日 20番」へ 戻る・・・

・・・「5月1日 19番」へ 戻る・・・

・・・「4月28日 18番」へ 戻る・・・
・・・「4月27日 17番」へ 戻る・・・

・・・「4月26日 16番」へ 戻る・・・