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『 1年2組 学級日誌 』 (新長編小説)  
      ・・・半世紀前の女子高校の学級日誌・・・
        (昭和47〈1972〉年4月~48年3月)

  

  



 【4月22日(土)晴 13番 K・T 】

 今11時30分です。

深夜ラジオ「バチョン」を聞きながら

書いています。

坂田の声、五郎さんの声、

こきやっこ姉さんの声、

その声を聞きながら、

ベットの中で書いています。

今、「ピンポンパン体操」が流れてきた。


 まず、自己紹介。

長所・・・人には親切。

短所・・・短気。気が弱く人見知りをする。

慣れるとだらけムード。

クラブ・・・思案中。

BF・・・まったくいない。

 次に、家族を紹介。

父・・・41才。冗談をよく言うが、

ちょっとしたことですぐ怒る。

母・・・37才。顔はあまりよくない。

父と同じく面白く、恐い。

祖母・・・6?才。姉とよく喧嘩をする。

あまり好きではない。

姉・・・17才。高校3年。

他の女子高に通っている。

私とよく喧嘩をする。

弟・・・13才。中学2年。

私と気が合う。

小学校の時に野球(リトルリーグ)を

していて、

6年生で台湾に遠征して行った。

妹・・・10才。末っ子のため、

すごく甘えた。

 以上

私を入れて7人家族。

みんな動物は、

あまり好きではない。
 

 中学生活の事を書きます。

 1年・・・家庭科のA先生が、

イヤミ(嫌み)で、クラスの皆が

嫌っていた。

そこで、私達は、いろいろと

悪知恵を働かせ、

授業が始まるまでに先生に服の色を調べて、

青色なら白のチョークというように

教卓の前に塗っておき、、

先生の服に着くのを見て喜んでいました。

また、手紙のやり取りをしたり、

その時の団結力はすごいものでした。

しかし、今から考えてみると、

先生にも良い所が色々あり、

悪いことをしたと反省しています。

ゴメンナサイ!

 2年・・・ここでも悪い事した。

英語の授業がイヤになったのも

この年である。

 3年・・・ここで先生に呼び出され、

すごく叱られた。

下品な事なので、書くのもイヤであります。

だから次にでも・・・。

言葉が非常に悪くなったのも、

ゲラになったのもこの年である。

そして、この年に一生の悔いを残した。

それは、「公立校」を併願受験

しなかったこと。

私立に行くことはあまり気が進まなかった。

両親が、

「公立を受けるには、卒業しても

勉強せんと!」と言います。

母には、私が公立高校を失敗するのが

目に見えているようで、

「私立1本がええ!」と言っていた。

姉が公立を失敗しているので、

私に二の前をさせたく

なかったのでしょうね。

ごちゃごちゃ言いながらも、

私は仕方なく私立専願1本にした。

 やがて卒業が近づき、

公立の願書を提出する日が来た。

私はその日、「授業はないけど、

みんな学校に来いよ。」

という先生の言葉に反して休んでしまった。

悔しかったのだ、

公立を受けられなかったのが。

一度は受けてみたかった。

公立の試験日、

私は家の手伝いのため、

田へ行って草引きをしていた。

時計を見ながら試験の事を考えるたびに、

涙がこぼれた。

何かが1本抜けたようだった。

その日、むっつり。悔しさをこらえた。

そして発表日。

友人から「合格した」と

電話がかかってきた。

「おめでとう!」なるべく

明るい声で答えた。

せっかく合格したのに、私の一声で

友人の気分を悪くさせるのが

イヤだったからだ。

しかし、内心羨(うらや)ましかった。

すごく・・・。


   だけど今、「JK」女子高に通って、

なんとなくこれで良かったのではないか、

と思うようになって来た。

少し悔しいけどね。

でもいつまでもそんな事では、

私は進歩していけない。

私は進歩したい。

だから悔しさを捨てようと決心。

私の事を心配してくれた両親にも悪いし、

自分のためにも!!


   今すごく悩んでいることがある。

誰にも打ち明けられないでいる。

  雨よ、私の悩みを聞いて 

   雨よ、私の悩みを流して

  雨、それは時なのか   

   いつか私の雨だれが開いて

  雨が私の悩みを流してくれる 

 今は一滴づつ、雨はたまっているけど

  私の雨だれが開いていないからよ  

でもいつかは開いて

  雨が悩みを流してくれるだろう 

  早くその日が来てほしい


 もう二時になりました。

兄のような先生、

おやすみなさい。

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 土曜日の「バチョン」、

コメディナンバーワンのを、少し聞いた。

この日京都の鞍馬に、

先生方で「鱒(ます)」を

食べに行った帰りだったけど、

たしか、ホンコン旅行の話しを

していたと思う。

昔は、よく聞いたけど、

この頃は、家に帰るとすぐ

ダウンしてしまう。

 今週から、月曜日の夜に、

大学の上の「大学院」の授業を

受けに行きます。

ぼくは、「大学院」の卒業単位は

取得してあるが、

「卒業論文」を提出していない。

もちろん、「大学」を卒業する時、

先生になるための「教員免許証」は

取ってある。

では、どういうことかと言うと、

3年前、「大学院」に通っていたのだけど、

2年前に、「学生紛争」があり、

学校が閉鎖され、

2年間、授業がなかったのだ。

そして、今年ようやく授業が再開された。

2年間、授業がないなんて、

考えられないだろう?

警察の機動隊とヘルメットを

被った学生とが殴り合いをし、

凄(すさ)まじい戦場のような学校だった。

日本国中の大学が、そういう状態。

原因は、日本とアメリカとの

「安全保障条約」を締結

(テイケツ・結ぶこと)するのに、

反対派の抵抗運動が

繰り広げられたからだ。

(これはちょっと君たちには、

難しい話しになる。)

ぼくの学校でも、機動隊と学生の戦いで、

数人の学生が死ぬという

悲惨(ひさん)で惨(むごい)い

学生紛争だった。

それが治まったので、勉強しに行くわけだ。

専門の「近代文学」1教科だけだが、

楽しみにしている。

そして、君たちにも、

新しい多くの知識が与えられれば

よいと思っている。

   以上

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