「1年2組学級日誌」の始めのページへ 戻る
『 1年2組 学級日誌 』 (新長編小説)
・・・半世紀前の女子高校の学級日誌・・・
(昭和47〈1972〉年4月~48年3月まで)
|
【11月23日(木)晴れ 9番 O・A】
私は今とても
中学校の友達に会いたいの。
もう離れてしまっているかも
しれないけれど、
中学校の友達を大切にしたい
と思っています。
でも、あの日以来
友人をを望むのを諦めました。
いや、やめました。
だってM先生は誰とでも
みんな友人だと言いましたね。
でも、自分に合った子を選ぶのが
何故いけないのですか?
許せない事があって
何故いけないのですか?
全てを許して人生・人と
仲良くしていけますか?
それを言われた先生には
出来るのですか?
先生は人を選びませんか?
先生には答えられないでしょう。
だって、先生も人を選んでいるのでは
ないでしょうか?
又、全てを許せないのでは?
(生意気かもしれません。
表現の仕方が分からないので……)
M先生の考え方って
奇麗すぎるのです。
M先生、1年2組の55名の
全てを知っていますか?
きっと知らないでしょう。
もし知っているのなら……。
先生は先生であって、
55名+1名にはなれないのです。
55名+1名である時、
そこに矛盾が生まれるんじやないかな。
先生がいくら55名+1名だと思っても、
私は思いません。
思えないようにしたのは
先生ではありませんか?
私は今M先生を信頼していません。
ただ、現代文 を教えてもらっている、
と割り切ろうと思っています。
なんか今だったら、
先生がする事なす事が頭に来るのです。
M先生と1対1で
話し合いたいと思います。
でも結果は目に見えています。
まるめられて先生の意見に
誘導させられるでしょうね、たぶん。
誰かがいってたように先生は、
「現代国語」の先生ですものネ。
私、チョット興奮したみたいですね。(深呼吸)
でもこの日誌も無意味ではなくって、
M先生の返事は立派過ぎるのです。
先生は言葉では55名+1名と言っていても、
プライドが55名and先生になっているのです。
先生は自分のクラスが他のクラスより
下に見られるのがイヤだと思ってるんでしょう。
私にとってM先生のクラスにいると、
very,very,very
重荷を感じるのです。
M先生に反感を持っているのは、
私だけかも知れませんネ。
でも今までに2回
この日誌が回ってきましたが、
あまり先生の事に触れていません。
(今回も触れないつもりでした。
でも、先日の事が私にこの事を書かせました)
どういう意味か分かりますか?
この日誌を机の上に開けて
置いたままにしていたら、
弟達に読まれたらしい。
うかつだった。
母が弟から聞いて
「先生にこんな事を書いてはいけない!」
と叱りつけたけど、
私は訂正しようとは思いません。
もう日誌は回ってこないでしょう。
1度直に聞こうと思ってた事を
全て書きました。
返事を楽しみにしています。
さようなら。
追伸
生徒なのに先生に
反論してはいけないのでしょうか?
私は良くない事をしているのでしょうか?
なんか心配。
だって母の言葉が
チョット引っかかるのです……。
===========/===========/========
ぼくは、
西条八十(さいじょうやそ)の
「かなりや」の詩(歌)が好きです。
・「唄を忘れたカナリヤは、
後ろの山に捨てましょか」
カナリヤは美しく鳴いてこそ
「カナリヤ」です。
しかし、美しく鳴けなくなったからって、
捨てて良いのかなあ。
歌えなくなった、
唄を忘れたからって、
捨ててしまっていいのかな。
やはり、
・「いえいえそれは、なりませぬ」
だと思う。
・「唄を忘れたカナリヤは、
背戸(せど)の小藪(こやぶ)に
埋(い)けましょか」
・「唄を忘れたカナリヤは、
柳の鞭(むち)でぶちましょか」
柳の鞭でぶっても、
背戸の小藪に埋めても、
カナリヤは唄を思い出さないし、
また、ぼくには、
そんなひどい事は出来ない。
では、唄を忘れたカナリヤに、
唄を思い出させるには、どうしたら良いか。
・「唄を忘れたカナリヤは、
象牙(ぞうげ)の船に
銀の櫂(かい)、
月夜の海に浮かべれば、
忘れた唄を思い出す。」
唄を忘れたからといって、
カナリヤを捨てる事は、
ぼくには出来ない。
また、友が自分を
裏切ったからという理由で、
友を捨てる事は出来ない。その友が、
・「象牙の船に、銀の櫂、
月夜の海に浮かべば」
きっと思い出すだろう、
僕達の「友情」を。
ぼくはそう思っている。
君は、どう思いますか?
話しは変わります。
君がぼくに
「反感」を持っていると読んで、
ちょっと悲しさを感じます。
それから、
「先生がいくら55名+1名だと思っても
私はは思いません」
の言葉だけど、
君も「先生は先生であって生徒じゃない」
と言いたいのだと思います。
しかし、ぼくは感じているのですが、
もし君が「先生は先生」だと
本当に思っているのなら、
君のお母さんが言ったように
「こんな事書いて……」
という事になるだろうと思います。
しかし、君は書いた。
お母さんが思っているような
「先生」あるいは
「先生は先生」だという意味の
「先生」と思っているなら、
君には書けなかったと思います。
きみは、本当にぼくの事を「先生」としか
見られないと思っているのなら
書けなかったと思います。
しかし、君は書いた。
書いたと言うことは、
君の心のどこかに
「先生」と思う気持ちと
「55名+1名」あるいは「仲間」と
思う気持ちがあったと思います。
その意味で
ぼくは嬉しく感じます。
君の心に聞きます、
これは、ぼくの思い過ごしですか?
以上