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『 1年2組 学級日誌 』  (新長編小説) 
      ・・・半世紀前の女子高校の学級日誌・・・
        (昭和47〈1972〉年4月~48年3月まで)

  

  



【5月25日(木)晴 37番N・Y】

「 自殺と勇気と 」

「 おしいことに、

15歳の若さで彼は亡くなった。

だが、私は彼に言いたい。

何故 死ぬ勇気 があったのなら、

生きて行こう としなかったのか!」

「彼女は 卑怯(ひきょう) 

です。死ぬなんて!」

誰かが自殺した時など、

よくこういう言葉を耳にするが、

ここで私はいつも思うのだが、

“ 勇気 ”とは、

物事を恐れない 勇ましい心 であり、

“ 卑怯 ”とは、勇気のないこと 

である、

これはいったいどういうことなのか?

私は“ 自殺 ”という事に大変

 関心 というか、

興味 を持っている。

別に 面白半分で言っているわけではない。

自殺しよう などという気もない。

私自身、自殺 ということは、

たいてい、何か大きな 失敗 とかをして、

または 失恋 などをして、

生きているのが嫌になって死ぬ、

と思うので、

卑怯 だと思うし、

又、私には、

自殺する 勇気 などないと思っている。

と考えると、

今、私が書いた文章はおかしい。

私は、先ほど

「 勇気 とは、物事を恐れない、

勇ましい心で、

卑怯 とは 勇気のないこと である」

と書いた。

それなのに、

何故、今書いた文の様に口に出しても、

ちっともおかしいと思はないのだろう。

“ 自殺するには勇気がいって、

自殺とは 卑怯 なことである”

……いくら考えても、

私には分からない。


 ところで

、“自殺”といえば

必ずしも 卑怯な行為 だとは言えない。

これは、実際に

中学校のH先生が体験された話なのだが、

H先生の教え子が

自殺未遂 で病院に運ばれ、

先生が病院に駆けつけ面会して、

理由を聞いたところ、

彼女はポロポロ涙を零して

言ったそうだ。

「私は死後の世界に憧れている。

その世界は、

きっと素晴らしい所だろう、

だから、

私はその世界を覗いて見たかった」

と。彼女は、

この世を生きていくのが 辛い とか、

何かを 苦 にして自殺しょうとした

のではなかった。

残念な事に彼女は、

2度目の自殺が 成功(?) して、

今 この世にはいない。

だが 

彼女はとても幸せな人ではないか、

と思う。

こんな褒め方はないと思うが、

自分がやりたいと思たら

命を懸けてまでもする。

私はとても 立派 だと思う。

彼女にしてみれば

「 自殺 」などということでは

なかったのかもしれない。

命を懸けての 大冒険 とでも

書くべきだったろうか。


この「 自殺と勇気と 」の最後として、

私は言いたいことがある。

「私には 自ら死を選ぶ勇気 はない。」


話しは変わって、

私の父は 絵描き だが、

父の個展に出す絵の中には、

私がモデルになる絵もある。

もちろんヌードなんかじゃなく、

バレエの衣装をつけた私を描くそうだ。

モデルになるのは、

今度だけではない。

もうすでに何度かしている。

何枚かの絵の中で

私が一番気に入っているのは、

“バレリーナ” と題された、

短い チュチュ を着た私が

描かれてある絵だ。

もうその絵は売れたそうだが、

その絵をかけてある家に来る人来る人が、

とてもいいと言って下さるそうで、

その絵を買った人もたいへん

喜んでいるそうで、

父も私(?)も 鼻が高い。

ところで、

私がモデルになることは

別にかまはないが、

問題 がそこで1つ残る。

というのは、

私の マスク だ。

(クソ……)もう少し 鼻が高く て、

目 の位置ももう少し 中央 に寄れば、

言うことはないのだが、

ここが 辛い ところ。

しかし、写真 と違う。

絵にはいくらでも 変(又は化)えられる

 という 利点 があるということ、

半分くやしいが、ま、仕方がない。

描かれた絵を見ても、

私と父そして家族でない限り、

私がモデルとは、

誰も気付かないだろう。

では、バイバイ!


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明日(6月27日・土)

東京の青山墓地で

「 川端康成 」の 追悼会 がある。

行きたいが、休みが取りづらい。

教師には、「年間 20日年休 」

があり、1年繰り越せるので、

前年休まなかったら 40日 

の休みがあるが、

病気・入院等の時に休むので、

普通の理由の 欠席 は、

取らない。

教師には、夏・冬・春休みがあるから。

そう、夏休みがある。

夏休みに行こう。


 バレリーナを描いた絵で、

ぼくが好きなのは、

「 エドカア・ドガ 」の作品だ。

彼は バレリーナ(踊り子)

 しか描かなかった。

彼は、偉大な、そして 潔癖

(けっぺき )な芸術家だった。

 彼にとって「 芸術 」とは、

普通に言う「 数学 」よりも

「 微妙なある数学 」および、

「それに属する問題の解決」を

意味していると言われています。

この 数学の諸法則 は、まだ誰に

よっても明らかにされていないし、

そういう 数学 が存在することさえも、

ごくわずかな人によってしか

感知されていない、

と言われています。

すなわち、

彼にとって絵は

「 逐次的に(ちくじ的に・

順を追って)」行った

計算の結果であったらしい。

すなわち、

普通の人間の眼には、

「絵と絵の題材と画家の才能との

運のいい結合である」

ように見えるのに反して、

ドガのように、

人間的には 不幸な程に鋭利な芸術家は、

「絵の 完成 をなるたけ 延期 し、

故意に(こいに・自分から意志を持つ)

障壁(しょうへき・しきりの壁)を設けて、

すべて近道することを嫌う」

そうだ。

ドガは、簡単に出来ることを嫌った。

「思索(しさく・深く考えること)の

中心が、踊り子の動き」

だったそうだ。

だから、それを描き続けた。

彼の絵には、

踊り子の心が表現されているそうだ。

難しいことを書いたけど、

「ドガ」の今の評価として

書かれている。

フランスの ルーブル美術館 で、

生の彼の絵を見てきました。

感動しました。


 君のお父さんの描いた、

君の踊り子の絵を、

機会があれば見たいですね。

                  以上

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