「マルタン丸山」のホーム・ページです。

トップページへ・・・
「小説」の見出しページへ
「1年2組学級日誌」の始めのページへ 戻る

『 1年2組 学級日誌 』  (新長編小説) 
      ・・・半世紀前の女子高校の学級日誌・・・
        (昭和47〈1972〉年4月~48年3月まで)



  



【6月21日(水)晴れ 53番Y・Y】

 ああ、何か書かなくちゃ……。

短所は、ヒステリーでへそ曲がりで、

猜疑(さいぎ)心が強く、

虚栄(きょえい)心の固まり。

極端から極端に走っている。

依頼心が強く我がまま。

長所は、……あんまりないみたい。


 あたしの好きな物は、

本、映画音楽。

中学3年冬休みに遠藤周作の

『沈黙』

を読みました。

あたしは、幼稚園から小学校の6年まで、

ミッションスクールでした。

だから、小学校卒業まで、

神の存在をそのまま認めるのは、

一つの義務でした。

公立の中学に入ってから、

自分の中に神って存在が

あることを感じました。

友達は、皆、

神を否定する。


人間は、いつでも、

ある偶像を抱いている。

あたし自身の中にも、私の神は、

存在しています。

『沈黙』の中でのキリシタンを、

私は羨(うらや)ましいと思いました。

日本人は、確かに、

キリスト教を屈折して考えています。

根本的に違うのです。

だけど、彼らは、

死を恐れない何かを持っていました。

それが苦しみからの逃避(とうひ)でも。


ゴミが落ちていたら、

「拾いなさい」

って優しい声を掛けて暮れる誰かさん。

もしかしたら、それは、

もう一人のあたしの声、

良心?理性?

神を否定しようと思えば、

いくらでも否定出来るんです。

だけど、あたしはやっぱり

神様の声と思いたいんです。

ひよっとしたら、

自己陶酔(とうすい)?

ナルシズムかも?

でも、神はいるんだな、あたしには。

ロマンティストね。

姉貴に言われました。

姉貴は、信者です。

でも、こんな夢を抱いていられるのは、

今だけかもしれないんです。

いいでしょう?


 誰かさんが私に言いました。

「あたしは、神を見なくちゃ信じない」と。

だけど、

神は沈黙ゆえに

神としての価値があるんです。

沈黙だから信じるのです。

偶像ですね、きっと。


 庄司薫 好きです。大好きです。

だけど、彼の考えって、

すごく甘いみたい。

時々ウンザリします。

「青春・若者・愛……。」

綺麗(きれい)ですね、

気にくわない。

あたし、ヘソ曲がりなんです。

若者には、可能性がある。

無限大の可能性。

ホントでしょうか?

この管理社会の中で

あるんでしょうか?

原始社会だったら、いざ知らず、

バカバカしい……。

そんな言葉、俗(ぞく)にいう、

若者を陶酔(とうすい)させるだけ……

(あたしもその一人)。


 『二十歳の原点』

(高野悦子著) 彼女はすごいな……。

面と向かって、

死の直前まで自分を見つめた。

彼女は純粋過ぎて……

自分も人も傷つけている。

逃避(とうひ)したくない。

逃避していない、

と叫びながら逃避しちゃった感じ。

あたいは、

この様な本を読むと影響される。

だから、少し恐いな。


 私は慣(な)らされる人間ではなく、

創造する人間になりたい。

テレビ・雑誌・新聞・週刊誌など

あらゆるものが、

慣らされる人間にしようとする。

私は自分の意志で決定した事をやり、

あらゆるものにぶつかって、

必死にもがき、

歌を歌い、

下手でも絵を描き、

泣いたり、

笑ったり、

悲しんだりすることの出来る

人間になりたい。

脳波が動き、

心臓が鼓動を打つ、

そんな「生」はいらない。

この手の中に、

生きている実感をつかみたい。


 あたい映画大好き。

ダスティ・ホフマンの

「卒業」

2回見に行った。

回数は5回(朝から晩まで)

ムシシシシ……。

音楽もいい。

サイモン&ガーファンクル。

「ミセス・ロビンソン」

「スカロボ・フェーア」

そして「サウンド・オブ・サイレンス」。

LP持っている。


 M先生は、

教師だからいいですね。

テープレコーダーじゃ

ありませんもの。

だけど、

「偽善(ぎぜん)者」だけは、

ならないで下さい。

「偽善者」は、

嫌いなんです。

変な事、くたくた書いてすいません。

さようなら。

=========/==========/==========

君が最後に書いた

「偽善(ぎぜん)」

という言葉……。

ああ、なんとこの26年間

という長い時間、

このぼくを苦しめ、

悩ましてきたものだろう。

もう26年も過ぎたのだから、

そろそろ消滅してもいいものを、

あと、何十年、

ぼくの心を抑圧(よくあつ)し、

圧迫し、

翻弄(ほんろう)する事だろうか。


『仏典』

の中の

「真理のことば」の「花」に、

次のような言葉がある。

“愛らしく、色麗(いろうるわ)しくても、

香りのない花の如く、

 実行の伴(ともな)わない人のことばは、

善く説かれても効果はない“


 ああ、なんと強烈な言葉だ。

この言葉を読むと、

心臓が張り裂けんばかりに

鼓動(こどう)する。

この世に

“偽善”という言葉がないならば、

ぼくは、どれ程「自由」に

生活できる事だろう。

まったく自分の欲するままに、

ちょうど木の葉がかぜに舞い散るように、

ぼくは飛び去っていくだろう。

人間ではなく、

植物や動物や自然と同じように、

時を過ごすだろう。

本能のままに……。


 だが、ぼくは人間だ。

人間と生まれた限り、

より人間として生活せねばならない。

ただ存在しているだけなら

動物と変わらない。

目先の幸福を求めて、

一時の不幸を恐れて、

その先にある人間としての

より良い生活・幸福を見捨ててはならない。

ぼくは、弱い人間だ。

それが分かっていても、時として、

それを実行出来ないでいる。

“偽善”に悩まされる。

人間としての、より良い生活・

幸福を説きながらも、

実行出来ないでいる時がある。


 ああ、ぼくのもっとも嫌いな言葉

「偽善」

 ああ、ぼくがなりたくない言葉

「偽善」

 ああ、ぼくの戒(いまし)めの言葉

「偽善」

 ハムレットの心境です。 

       以上

=========/==========/=============



・・・「6月22日 54番」へ 進む・・・ ボーイフレンド・・・

・・・「6月18日 52番」へ 戻る・・・ 固定観念・・・

・・・「6月17日 51番」へ 戻る・・・ 友情・・・

・・・「6月16日 50番」へ 戻る・・・ 田植え・・・

・・・「6月15日 49番」へ 戻る・・・ 親友・・・

・・・「6月14日 48番」へ 戻る・・・



・・・「6月13日 47番」へ 戻る・・・



・・・「6月12日 46番」へ 戻る・・・

・・・「6月11日 45番」へ 戻る・・・

・・・「6月10日 44番」へ 戻る・・・

・・・「6月9日 43番」へ 戻る・・・

・・・「6月8日 42番」へ 戻る・・・



・・・「6月7日 41番」へ 戻る・・・

・・・「5月27日 40番」へ 戻る・・・

・・・「5月26日 39番」へ 戻る・・・

・・・「5月25日 38番」へ 戻る・・・

・・・「5月24日 37番」へ 戻る・・・

・・・「5月23日 36番」へ 戻る・・・

・・・「5月22日 35番」へ 戻る・・・

・・・「5月21日 34番」へ 戻る・・・

・・・「5月20日 33番」へ 戻る・・・

・・・「5月19日 32番」へ 戻る・・・

・・・「5月18日 31番」へ 戻る・・・

・・・「5月17日 30番」へ 戻る・・・

・・・「5月16日 29番」へ 戻る・・・

・・・「5月15日 28番」へ 戻る・・・

・・・「5月13日 27番」へ 戻る・・・

・・・「5月12日 26番」へ 戻る・・・

・・・「5月11日 25番」へ 戻る・・・

・・・「5月10日 24番」へ 戻る・・・

・・・「5月9日 23番」へ 戻る・・・

・・・「5月8日 22番」へ 戻る・・・

・・・「5月6日 21番」へ 戻る・・・

・・・「5月2日 20番」へ 戻る・・・

・・・「5月1日 19番」へ 戻る・・・

・・・「4月28日 18番」へ 戻る・・・
・・・「4月27日 17番」へ 戻る・・・

・・・「4月26日 16番」へ 戻る・・・