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『 1年2組 学級日誌 』   (新長編小説)
      ・・・半世紀前の女子高の学級日誌・・・
        (昭和47〈1972〉年4月~48年3月まで)

  
  






【4月17日(月)晴 8番O・M】


 昨日、川端康成が亡くなった。

ショックだった……。

三島氏がなくなった時も、

耐え切れず空しかった。

芸術に悩んで死を選ぶ者ほど、

純粋な人だと思う。

川端・三島は、違う。弱い。

私と良く似ている。

死を選ぶ事で何もかもなくす事が

できるのなら、

今の私ならできる。

しかし、若さとこれからの長い人生を

歩むについての好奇を忘れられない。

死んでもなくす事はできない。

歩み続けてこそ、

すり減らせるのだ。


 春休みは、精神的に参っていた……。

だから、春休みは気晴らしに遊びまくった。

色々なことで、物の不思議を、

楽しさを味わう事ができた。

一瞬の感情で決めてしまう事、恐い。

でも、そんな場面に立ち会う時がよくある。

この学校に来た時だってあった。

失敗してしまった。

私は、慌てん坊だから、

じっくり考案してから行動をとるよう、

つねに心がけている。

幼少の時から、

死については考えて来た。


 中学三年の時、

友人の家で、

仲間九人集まり

「死について」

討論し合ったことがある。

途中で沈黙……。

というのは、

話し合っている内に自然と自分の家庭、

いえ、両親の死を仮定としながらも

真剣になって来て、

恐くなって来たからなのだ。

この感情が失われるなんて……イヤダ。

なんて人間は、ちっぽけな動物なんだろう。

考えに考え抜いたあげく、

本能的に死が来る。

むなしい。

だからいつも考えないことにしっている。

友人と会ったときも。


 M先生を見、第一印象は、

若いから分かりが良く、

やさしそうだったと思う。

入学式から帰って来て自宅で、母が

「あの先生、ドリフターズの眼鏡の人に

そっくりやね」

と言った。

翌朝隣の席のAさんも言ってきたので、

やっぱり似てるんだな、と思っている次第。

でも、誰かが、

「眼鏡で、そう思うんと違う?」

とも、言っていた。


 こんなことダメな事だけど、

ハッキリ書くけど、

今となってみたら、

先生ってものすごく腹黒い人に見える。

怒らないで下さい。

いえ、怒って下さって結構です。

それで、カモフラージュかどうか

判断できるから……。

軽い気持ちで人を判断できないけど、

少しでもそう思ったから書くまでの事です。

短気で、人をあまり信じない性分だと

思う(少しでもよ)。

私からの単なる推測に過ぎないから

当たっていないかもしれないけど、

今、ホントに努力して、

何とか生徒に気にいられる先生になろうと

思っているでしょう?

私は、ありのままの先生を

生徒にぶつけて欲しい。

でもまあ、そんなことは、

先生が決めることだから……。


 芸術で自殺がファッション化

されて来た様に、

若者に詩を書くという事に

ファション化されて来た。

ヘタでも、何でもいい。

自分の書きたいことを書けばいいのだ。

私は中一頃から書き始めた。

嬉しい時には書けない性分で、

悲しかったり、苦しい心境の時でないと

又良い詩が出来ない。

油絵に熱中したのは中二。

今でも大好きだ。

油絵の魅力は、

他のことを忘れさせてくれるからだ。

描いている途中は無心で、

完成してからも作品が悪くとも満足できる。

好きな画家はモネとセザンヌ。

好きと言っても描き方を真似などしない。

私の感覚に過ぎないのだから。

油絵は地上で四番目に好き

(両親と祖母の次に好き)。


   人間は、いつも一人だから、

自分の道は自分で決めなさい、とある人、

いえ、私の……だった人が言った。

その通り歩もうと思う。

でも、私はすご……く寂しがり屋で、

友人に電話したり話をするのが大好き。

悩みも全部打ち明けてしまう。

最終的にはやっぱり一人ぼっち。

今は、ボーイフレンドとかそういうものは、

前のページに書いた通り、

少し疲れているので欲しくはない。

又、その事を考える余裕がないというか、

静かに落ち着いて、

短い期間を過ごそうと思っている。

一人で生きていくのは孤独だけど、

肩がこらずにすむ。


 私はスプライトが好き。

それには深い思い出が詰め込まれている。

私の「 片想い 」 の想い出が……。

スプライトの味は、

京都の味が含まれているんですよ

(私が勝手に決めた事だけど)。

だから、どこへ行ってもスプライト、

いえ、京都の想い出を巡らせる。

とても好きです。


 芥川龍之介と太宰治が好きだ。

芸術に限界がきたのを悟って自殺した。

太宰治は、何度も自殺未遂に終わったが、

結局、愛人と入水自殺でなくなった。

私は、自ら命を絶つものは、

美しく純粋な人だと思う。

でも「自殺」には、

深い内容や意味が必ず要している。

だから、

今、私はそんな浅はかで軽率な

行動は取れない。

でも、自分を殺すという精神は、

大切だと思う。

私は妥協によって人間関係を

深めようというのが、

実にいやだ。

でも、この世の中に、

一人根強く生きようと思うなら、

五木寛之が書いていた様に、

ゴキブリの精神で前進することだ。

義理と人情を持つ人間が、

私の生き方であり、理想である。

映画の見過ぎと言わないで!

友人の中に、私と同じ思想の人が一人いる。

信じられる。心の底から。

私は、何があっても

友達との約束は破らない。

バカな人間。

そう、損な生き方かもしれないが、

バカでいたい。


 クラブ何に入ろうかナ。

母は遅くなるからだめだという。

しかし、美術クラブに入ろうと思う。

難しい……思想・哲学・倫理・心理。

芸術に苦しむ理由は

「あみだす」ことが根本原因だと思う。

作者の個性の表現力、美を追求する芸術。

自然とは別の、人造美のある芸術etc。

そういうものに私は挑戦してみる。

芸術で自己表現するのだ。

ざっと今まで書いてきたが、乱筆乱文だわ。

自分でもイヤになる。

それなのに、小説を書いていた。

私の中学生活三年間を

振り返ってのことなんですが、

途中で大きなショックが起こり、

今は、35枚で

机の中に置きっぱなしにしてある。

私は気分屋。

気分により自分を変えてしまう欠点だ。

だから中学で、美術クラブに入った原因は、

気分が悪かったら描かなくてよい、

そんな先生を尊敬して入ったのだ。

この学校は違うだろうな。

又、私はあがり性。

今書いているのもドキドキして

いるのですもん。

それから神経質で、少し言葉に

迷ってしまう。

だから、このノートに書いた事に対して、

あまりきつく書かないで下さい。

また、皆様方も私に何も言わないで。

お願いね。

とっつきにくいのも大きな欠点。

前の十人の友人の中でも

信頼されている方なのです。

「 するめ 」なのよ。

皆さんが私を理解することは

できないでしょう。

 じゃ、これからも、よろしく!

長くバカな文章にお詫び申し上げます。

ゴメンネ。


    もういくつになったの?

と尋ねられるより、

    まだ、子供ね。 

と言われる方がうれしい。


     結局、

私は何を書いたのかわからない。

さようなら。


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君がいろんな事を、深く考えていることに、

ぼくは嬉しく思う。

自分の目で見、考えていることに、

素晴らしく感じる。

 ところで、君は、ぼくの事を

こう批評してくれた。

「腹の黒い人」で「短気で、

人をあまり信じない性分」で

「今ホントに努力してなんとか

生徒に気に入られる先生になろうと

思っている」、

でも、君は、「ありのままの先生を

生徒にぶつけて欲しい。」と言う。

 「腹黒い」とは、どういう意味の

腹黒いなのか?

作為的?

心と行動が裏腹?

他人を落とし入れようとする

利己(エゴ)的

ということか?

ただし、ぼくに「腹黒い」と言うのは、

間違っていると思う。

 ぼくの心の中には、善と悪がある。

ぼくの心の中に格闘がある。

いつも迷い悩み苦しむ。

そして、いつも善を心から感じ、

悪を打ち払いたいと思っている。

そして、いつも善でいるために、

教育を受けてきた。

が、まだまだダメである。

死ぬまで、その悪は打ち払えない

かもしれない。

しかし、ぼくは本当に努力している。

ただし、その努力は

「生徒に気に入られる先生に

な」るためではなく、

自分をより高めるためであり、

教育者と言われる人間になるためである。

しかし、悪を打ち払った人は、

神や仏になってしまう。

しかし、ぼくは人間でいたい。

人間味のある教育者になりたい。

善と悪を持ち、

そのために迷い悩み苦しむ人間でいたい。

この矛盾したものを「腹黒い」と言うなら、

君の言う通りである。

しかし、ぼくは、良い先生になれなくとも、

人間味のある教育者になりたい、

と思っている。

 次に「短気」だが、そうかもしれない。

理由も言わないで、

自分の利己(エゴ)だけで他人を

困らせている人間を見ると、

無性に腹が立つ。

この間、ある生徒を怒ったのも、

それかもしれない。

 次の「人をあまり信じない性分」だが、

ぼくが人を疑ってしまう時は、

約束を破られた時だ。

その人を信じられなくなる。

むろん、ぼくは、約束を破る人に

何度かチャンスを与えようと思う。

与えたいと思う。

しかし、どうしょうもない時もある。

 ただし、疑っていたことが誤解ならば、

ぼくは、素直に相手に謝る。

君は、太宰治のことを書いているが、

『走れメロス』を読んだことがあるだろう。

あの中の二人の友人は、

お互いが相手を疑ったことを

謝る場面がある。

ぼくもその主人公と同じように、

素直に間違いを謝るつもりだ。

これが、「ありのままのぼく」だ。

             以上


  追伸、昨夜、ドリフターズの

テレビを見ました。

小学校では、教育上、

この番組を「視聴禁止」にしている。

(その番組の仲本工事さんに

似ているようにも思える。)

昨日は、それで、

その番組と「太陽の涙」と

「鬼警部アイアンサイド」を見てしまった。

8時から11時間まで3時間も見てしまった。

目が疲れている……。

                        以上


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