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パープ ・ サンフラワー(小説)

マルタン丸山


『第十章 若き紅衛兵(こうえいへい)の嘆き』 







===これまでのあらすじ===



 一九六八年八月、

日本人大学院生『栗須(くりす)』は

学生紛争で機動隊に閉鎖された

学舎(まなびあ)を後に、

横浜からソ連船に乗り、

ソ連(旧ソビエト連邦)の

モスクワから北欧を通って

ヨーロッパに行こうとしたが、

ふとしたことから

チェコスロバキアの改革

(プラハの春)に対する

「ワルシャワ条約機構」の

武力介入に巻き込まれ

「KGB」に逮捕された後

「シベリア収容所」送りとなった。

そこで、「パリ革命」の首班

『ダニー』のもと、二十五人の

『外人部隊』と呼ばれる

連中と助け合いながら月日を過ごすが、

冬将軍が飛来するころ、

強烈な腹痛と高熱で病院に収容される。

 その病院の元日本兵で病院長

『ドクター荻野』に一命を助けられ、

その娘の『光子』の協力で

『脱走』に成功し、

収容所のダニー以下数名をも

脱出させたが、

それを引きがねにソ連と中国は

『武力衝突』を起こし、

六人の国境侵犯者(日本人の栗須・

フランス人のダニー・アメリカ人のビル・

日系ロシア人の光子・その他二名)は、

激しい砲弾の中を中国側に

『脱走』した。







1、 中国 ーー 一九六九年ーー





六人の国境侵犯者は、

中国の『解放軍』に身柄を拘束され、

身体検査をうけた。

その後、

ロケット砲の炸裂(さくれつ)音を

聞きながら

護送車に乗せられて、

真っ暗闇の中を走り続けた。

 そして、

みすぼらしい兵舎に掘り込まれた。

粗末なベットだけが

配置されている兵舎だ。



「今度は、中国の収容所暮らしか!」



ダニーがつぶやいて

藁(わら)マットの上に寝ころんで、

目を閉じた。

 炸裂音は鳴り続いている。

どこかで聴いた『行進曲』のような

リズムで、エルガーの

『威風堂々(いふうどうどう)』だ。

初めは軽やかに、

しかし、次は激しいリズムに……。

ダニーは、

そのリズムに合わせて眠りに付いた。

 栗栖(くりす)は、

『和太鼓の音』を思い出していた。

夏祭りの時、

神社で夜通し鳴り続けていた、

あのリズムだ。

故郷に包まれて眠りに付く。

 ビルは、『炸裂音』が耳に付き、

寝付かれなかった。

しかし、その内に

彼もやはり、

一つのリズムがある事に気付いた。

高低・強弱・長短の変化があり、

彼の好きな『ジャズ』の

アドリブ演奏のように響いてきた。

懐かしい『ワシントンD・C』の

下町のジャズ喫茶で眠りに付いた。

光子とキルギス人とウズベク人の三人は、

一晩中眠れずにいた。





次の日、

また「護送車」は氷の中を走りだした。

タイヤが氷にくいこむ音と

エンジンの振動が体につたわり、

六人は黙って眼を閉じていた。

だが、ロケット砲の炸裂音が、

まだ鳴り続いている。

もし、ソ連と中国が全面戦争になったなら、

その責任は自分達にある、

と身体で感じてきた。

 しかし、遅かれ早かれ

『中ソ全面戦争』は、

起こっている。

ただ、その切っ掛けを作っただけだ。





半日走って、

着いたところは、

昨夜とは違って

五メートルのレンガ造りの塀が

巡らされた「刑務所」らしい建物だった。

六人には、

どの方向へどれくらい走ったのか

検討がつかない。

手錠はかけられていないが、

数人の緑色の詰め襟を来た

解放軍兵士が、

彼らを交互に挟んでいた。

ダニーが一人の兵士に「中国語」で

話し掛けた。

が、一言の返事もない。

 彼らは連行されるままに

建物の中に入り、

小さな個室に入れられ、

鍵がかけられた。

中は椅子とテーブルがあるだけだった。



小一時間して、

栗須の部屋に

やや着崩れした緑の軍服を着た

三人の「解放軍兵士」が

入って来た。

窓側の椅子に座った彼らは

英語で栗須に言った。

「お前に聞きたいことがある。……」



彼らはこの日から遡(さかのぼ)って、

栗須の行動を確認していった。

一人が尋ね、二人が筆記するやり方で、

夜遅くまで続けられた。

 栗須は、日本出発からの

一部始終を語った。

 次の日もまた、

別の真新しい緑の軍服を着た

解放軍兵士が来て同じ事を

問いただした。

そして、

次の日も同じ繰り返しだった。

 だが、

一つだけ異なる点は、

栗須のコートの

ポケットの中に入ってあった、

『封筒』についてだった。

ハバロフスクの郊外で

「老中国人」から車を譲り受けた時、

手渡された「手紙の内容」については、

栗須には、皆目,分からなかった。

が、彼らにとって

重要な内容が書かれてあったらしい。

「その老中国人とは、

どんな人物か?」

鋭く厳しい声で繰り返す。

「……年頃は六十歳前後、

小太りで身長約6フィート

(百八十センチ)、

日本語も話す。

それ以外はわからない。

ただ、

ハバロフスク病院の『荻野病院長』に

一命を助けられた、

と話していたことぐらいだ。」

「名前は?」

「聞いていない。」

「君との関係は?」

「ない!」

「他の五人との関係は?」

「ない、と思う。」

緑の軍服が少し間を置いたとき、

栗須が口をいれた。

「あの老人は、中国にとって、

あるいはあなたがたにとって、

重要な人物だったのか?」

緑の兵士三人は顔を見合わせた。

「われわれは、

お前の行動を知りたいだけだ!」

筆記していた目の大きな一人が、

強い調子で言った。

そして、

また昨日の尋問が繰りかえされた。





四日目。



 緑の軍服の左の腕に

赤地に黄色で

『紅衛兵(こうえいへい)』と

書かれた腕章を捲いた中年の男が、

昨日の目の大きい軍人と

入って来た。

中年の軍人は、

即座に言った。

「君の事を、そして

君に封筒を手渡した

『老人』の事を知りたい。

君はもう一度

その『老人』についての記憶を

呼び戻してほしい。………」

栗須は『老中国人』との出会いを

一部始終話したが、

昨日以上の事は思い出せなかった。





五日目。



 栗須は「中庭」に出された。

中庭は雪が凍り付いていたが、

中国人の「紅衛兵」の腕章を捲いた

「緑の軍人」達でぎっしり詰まり、

全員が足踏みを続け

身体を動かしていた。

栗須はダニーを見つけて

近づいて行った。

彼らだけが分厚いコート姿だった。

二人は分厚い手袋で握手をして、

栗須が英語で言った。

「この『紅衛兵』達はどうなってるんだ?

こんなに狭い所に押し込められて……」

「わからんな……」

「ところで、君も

尋問され続けたのかい?」

「ああ、俺の自叙伝でも

書くらしいぜ、解放軍は。」

「あの車の持ち主の

『老中国人』は、

いったい誰なんだろう……?」

「お前さんも聞かれたのか?

……どうも、

『中国の要人』か何かだろうなあ……

昨日はその 質問ばっかりだった。」

その時、ダニーを呼ぶ声がした。

ビルが、

緑の軍服の人垣の間から

顔をだした。

「また収容所暮らしになったなぁ、

自由な空気はいつ吸えるんだろう……。」

「ビル、君もあの

『老中国人』のことを聞かれたか?

…… やはり……。」

その時、

キルギス人とウズベク人が

彼らの側にやって来た。

分厚いコートが四人集まった。

キルギス人が、

顔に笑みを作って言った。

 「国(キルギス)に

帰れる事になった!!」

 ウズベク人も笑みを浮かべて

割り込んで来て、言った。

「俺も、国(ウズベク)に帰れる!!」

 みんなは、次々に握手した。

彼らが国に帰れるようになった理由は、

両国と中国は、

国交条約を締結しており、

昨日、

それぞれの書記官が宿舎に来て、

「条約」通り、

すぐに彼らを

「返還」することになったらしい。

 なぜなら、中国にとって、

ソ連との戦争が決定した現在、

中国と国境が近い二国から攻められれば、

たっまたものではない。

ここは、速やかに

相手のご機嫌をとって置く

ひつようがあったのだ。

 栗須は周りを見回し、

光子を捜したが見当たらなかった。

 ビルが、それを察して、

光子のことを英語で、

ダニーに聴いた。

が、ダニーも知らないらしい。





その時、突然、

横にいた四角い顔の眉毛の濃い

『若い中国人』が、

『英語』で話し掛けて来た。

「君達は『英語』を話しているんだね、

私も少しだけ『英語』が話せる。

……私の話を聞いてほしい。

……この中国は、

一人の独裁者によって

破滅に陥っている。

いつか君達が自国に帰った時、

必ず全世界に伝えてほしい。

この国はこのまま破滅する。」

「どういうことだい?!」

「『文化大革命!』

……第一次は一九六六年八月から、

第二次は去年の一九六八年一月から

今年六九年の今も続いている……。」

「六九年?一九六九年になったのか?」

「そう、今日は

一九六九年一月三日だ」

栗須は去年(1968年)の八月に

日本を出国したときからの

半年間のことが、

一瞬,頭の中に飛来した。

紅衛兵は言葉を続けた。

「狂っている、彼は狂っている!」

「彼って誰だい?」

「マオツオトン!」

「マオツオトン?」

「マオツオトンジュウシだよ!」

「毛沢東主席(もうたくとう・

しゅせき)が?」

「何がどうなっているのか

分からない。」

「この『文化大革命』は、

彼一人が、おのれの欲望を

満足させるために始めた、

恐るべき『殺人革命』だ。

彼は秦の始皇帝以上に

頭が狂っている!」

「話してくれ、

『文化大革命の真実』を!」

ダニーは、

青年の黒い瞳を見て言った。

若い中国人は、

ぎっしり、人間で詰まった中庭から

どんより曇った空を

見上げて話しだした。







  2、 紅衛兵(こうえいへい)の独白





一九六六年。


 僕は北京の清華大学の

電影(映画)学科の

学生だった。




 七月。



 付属の中学生が、

事もあろうに、

学校長を吊し上げている

という噂が流れたんだ。

 校長というのは、

中国でも最高の知識人で、

中国共産党の書記でもあり、

高級官僚だ。

そのエリートを十四・五歳の

少年数十名が、

何日も校長室を占領し、

しかも、校長自身を缶詰めにし、

吊し上げているというのだから、

驚かない者はいない。



何がどうなっているのか知るために、

僕達大学生が中等部に行った。

中学生達は口々にこう叫ぶ。

「校長は訓話の中で、

 『勉強せん人間はチーターフー

(金食い虫)である。

頭の中身のない人間は

地方へ行って

農業でもやってこい。

その方が国のためになる。』

 と言ったが、

それはマオ(毛)先生の

思想とは異なり

農民を愚弄(ぐろう)するものだ。

マオ先生は、

 『まず農業があって、

次に学問がある。』

 とおっしゃっている。

頭が悪いから農業をするのではない。

よって、この発言を

撤回(てっかい)し、

マオ先生及び全国の農民の人々に

自己批判すべきである。

   我々はこのことを

マオツオトン主席に報告するため、

手紙を送った。

その返事がくるまで、

この校長室を占拠し続ける。」



……これは実にばかげたことだ。

 校長は、常々、

『学問がこの世で一番である』

 ことを説き、

勉強には厳しい人だった。

それに対する中学生の

反発でしかなかったし、

徹底したしつけ教育を

強いられた学生の、

ちょっとした息抜きでもあった。

 大学生達も校舎に泊まり込んだ。

彼らと校長の間に入って、

なんとか解決するつもりだった。



ところが二日後、



マオ主席から手紙が届いたんだ。

 しかも、しかもだ、

右上がりのあのマオ主席の自筆で

書かれてあった。

「……私も修正主義に反対だ。

君達に、

『熱烈な支持』を贈る……。」

学生達は、飛び上がって喜び、

全員が勝利を叫んだ。

だが、

なぜ主席ほどの地位のある人物が、

わざわざ中学生の手紙に

返事を書く必要があったのだろう……。

 今から見れば、

それはこの事件によって

マオ主席の頭の中に、

『ある計画』がたてられたからだった。

その『計画』を成功させるためには、

この子供達を利用するのが

好都合だった。

 その『計画』が

どんなものか、

分かりますか?



彼は、十年前の

一九五五年に、

 『百家斉放(ひゃっかさいしょう)、

百家争鳴(ひゃっかそうめい)

[自由に自分の意見を述べる]。』

   を唱え、

農・工業十年計画を実行した。

 だが、

すべてが大失敗で、

全国で『数千万人』の餓死者』を出し、

君……、数千万人だよ!

地方では、

毎日死体が

山のように積まれて埋葬された。

そこでマオ主席は

『共産党大会』で『自己批判』し、

頂点の地位を退くことを表明した。

 が、六十年に及ぶ戦いで得た地位を、

なんで明け渡そうぞ。

 『わしが勝ち取った天下国家は、

わし一人のものじゃ。』

 腹の中は、煮えくり返っていた。

ちょうどその時、

『校長の吊し上げ事件』が起こった。

 彼は、この子供達の事件を利用して

人民の欝憤(うっぷん)の

矛先(ほこさき)を

転化させる『計画』、

すなわち、

 『彼の地位を復活』させ、

独裁体制を築くことが出来る

『第一段の計画』 をたてた。

 そして、まず第一の布石が、

この手紙だった。



 僕等は勝利に酔いしれた。

そしてマオ主席の『計画』にまんまと、

はまってしまった。

 無知だった僕らは、自分達の事を

 『紅衛兵(こうえいへい)』 と呼び、

『解放軍』と同じ緑の軍服を着、

腕には『赤地に黄色』で

『紅衛兵』と書いた腕章を捲(ま)いた。

この色彩は国旗から借用し、

筆跡は、

右上がりのマオ主席のものだ。

 しかも、全員が赤表紙の

 『毛沢東語録』

 を持つことにした。

 卒業しても就職など、

みつかりそうにない

真っ暗闇のこの国が、

突然バラ色に見えて来た。

全員が美酒に酔った。





まず僕等は『壁新聞』を

北京の街中に貼り、

繁華街の「王府井」通りの

商店の看板を壊し始めた。

何代にもわたる老舗(しにせ)で、

今までの支配者が誰一人、

手のでなかった老舗だ。

その看板を壊したのだ。

……それは、





 『波旧立新(ポジュリ・クイン)

[古い文化を破り、

新しい文化を打ち立てる]。』





   には、象徴的なものだった。

 警察は、マオ主席の

お墨付きを持っている僕等には、

手も足も出ない。

警察や党本部には

苦情が殺到したが、

二日間で

伝統のある老舗の看板は

すべて打ち壊され、

改名させた。





 『ポジュリ・クイン(波旧立新)』

 ……すばらしい響きだ!!





八月二十三日。

 マオ主席は

『第二段の計画』を実行した。

マオ主席が

最終編集委員長になっており、

自分の指示一つで思い通りになる

『人民日報』と『開放軍報』の朝刊に、

またも、マオ主席の自筆のサインと、

学生達が涙を流して喜ぶ、

次のような内容の記事を

第一面に掲載(けいさい)した。

 簡単に要約すればこうだ。





『……彼らのやったことは、正しい。

すばらしい行為だ。

大変良いことだ。

全面的に支持する……。』





この新聞で『紅衛兵』は

十日間で全国にひろまり、

組織された。

 中国人は昔からそうだが、

頂点に立つ権力者の命令には

無条件で従う。

中国人の悲しい習性。

 彼らは緑の軍服を着、

『紅衛兵』の腕章さえ捲いていれば……、

この服は街の至るところで売られ、

誰だって買うことが出来たから、

小学生まで

『紅小兵』といって走り回った。

この服と腕章さえ身につければ

すべての行動が許された。

 たとえば、流行の髪型や身なりの

派手な人間や、大地主や金持ち、

いつも厳しい授業をして

学生達に嫌われている教師などは、

男女関係なく

髪を切られてまる坊主頭にされ、

その頭に三角の白い布を捲き、

胸には自己批判を書いた

プラカードが吊られ、

街を引き回した。



 ……なんて惨いことを

やったのだろう……。



暴行も加え、死人もでた。

ほんの少し前まで

『飢え』で人は死んでいたのに、

その時からは、

紅衛兵の『糾弾(きゅうだん)』で、

人が死んでいく。

 ……それが全国に広まった。





僕は、北京大学の学生とも組んで

組織を拡大した。

北京大学の学生には、

親が党のトップクラスの官僚が多い。

 たとえば、

マオ主席に変わって

国家第一主席になった

「リンピアオ(林彪[りんぴょう])」や

「トンシアオピン

(鄧小平[とうしょうへい])」や

「リュウシャオチー

(劉少奇[りゅうしょうき])」達の

子供も含まれていた。

 組織は、全国でも一、二だった。

そして、

地方の「紅衛兵」が

北京に集合して来た。





「紅衛兵」の特権を知っていますか?

まず第一、

革命交流のためなら

列車や宿泊・食事は、

党から提供されて、一切無料。

お金は一元もいらない。

すべて党から支給される。

無論、『波旧立新』で、

金持ちからそれ以上のものを取り上げて、

党に献上していたけど。

次に、

いかなる機関でも

逮捕・尋問はできない。

「紅衛兵」を逮捕できるのは

「紅衛兵」自身しかない。

 よって、恐いものは何もない。

次は、

自分達の指導者は

選挙で決める。

ピラミット型に組織化され、

「紅衛兵」の中では

秩序はとれていた。

が、その指導者は、

マオ主席の言葉を

『絶対的』なものとしていた。

最後に取って置きのもの、

それは、「家長制」は打破し、

子供は大人を批判してよい。……。

・・・あなたがたに

信じられますか?

この話が……。

アメリカのディズニーランドか

ホリデイ・イン・ホテルなら

いざ知らず、

この十億以上の人間が

生活している「国家」が、

「子供にだけ

すべてが許された国家」に

なったなんて。

人類が誕生してこれまで

このような国家があっただろうか?

北京には信じられないほどの

「紅衛兵」が、

観光(?)を兼ねてやって来た。

壁新聞・闘争方法・論理の展開を、

勉強する名目で来た。

しかし、

この闘争の中心思想は、

ただ一つ『修正思想反対』だ。

 では、『修正思想』とは何か?

それは、マオ主席の唱えた、

 『「国民みな農民たるべき」

に反する思想』

 のことだ。

農民以外はすべて非国民であり、

非プロレタリアになる。

しかし、マオ主席は十年前に

「百家斉放、百家争鳴」を

唱えていたが、

その近代化を

目指したこととは矛盾する。

なのに『修正思想反対』だけが

全面に打ち出された。





ああ、なんてことだろう!

僕達は、

『マオ主席の計画』に

気付かなかった。





この年(六六年)の十月、

マオ主席は、

『第三段の計画』を実行した。

人民大会において

『闘争方針の大転換』を告げ、

闘争の矛先を

『党内走資派』へ

向けるようになった。

 すなわち、

 『マオ主席以外の

党幹部全員【糾弾】する』

 ことだ。

それは、建国以来十七年の党の

『腐敗・無能』、そして、

人民に対する『搾取(さくしゅ)』

への怒りを、

僕達が、僕達の親に

向けることでもある。

 これまでの「紅衛兵」の

中心の活動家は、

親がすべてなんらかの形で

党の要職についていた。

 だから、僕達は全員、

自分達の親を党から追放して、

頭を刈り上げ刑務所に送った。

 僕達「紅衛兵」にはその時、

『血も愛も涙も肉親の情』も、

すべてを喪失(そうしつ)していた。

そして、

すべての知識人や指導者や教師を……

僕は僕の恩師までを

刑務所に送ったのだ。





……ああ……今流す

この『涙』は本当の涙だ。

『血も愛もある人間の涙』だ。

 ……僕の父は、

映画監督だったが、

同じめにあい、去年、

牢(ろう)やの中で死んだ。

僕が殺したのと同じだ……。




次の年の六七年……。


 激しかった……、



あの『造反(ぞうはん)』は。

 この時から

『革命』のことをそう呼んだ。

『造反』の方が聞こえがいいと、

マオ主席が言いだした。

そして、中国全土で

『糾弾(きゅうだん)!』。



……狂っている……。



そして去年(六八年)だ。

 いよいよマオ主席は、

『第四段の計画』を実行したんだ。



何だと思う?



……信じられないぜ!

今まで「紅衛兵」として

活動していた人物を、

すべて『糾弾』し、

『下放(かほう)』を命じた。

 『下放』とは、

党幹部や学生が

農村や工場に入り、

農民労働者への

『奉仕の精神』を

養うことを目的に唱えられたものだ。

都会からすべての人間を

『農村』に送ることだ。

だが、

なぜいままで「紅衛兵」として

活動していた人々を、

『糾弾』し、

『下放』を命じたのか?



 ……理由は……、

「紅衛兵」たちは、

党幹部や党の要職についていた

人物の子供であり、

金持ちの子供であり、

非プロレタリア思想が

いつのまにか身についている人間、

と言うのだ。

僕達は本当にアマチャンだった。

あまっちょろい子供だ。

マオ主席にとって

「紅衛兵」は

『釈迦の手のひらの孫悟空』

と同じだった。

すべてを掌握(しょうあく)していた。

この時からの「紅衛兵」は、

「第二期紅衛兵」と呼び、

「第一期紅衛兵」を『糾弾』し、

『下放』することが仕事になった。

ピラミット式の組織の頂点には、

「第二期紅衛兵」が、

選挙で選ばれ、

彼らは僕達に『下放』を命じた。

そうだ、

……ああ……

「第一期紅衛兵」のトップで

北京大学を卒業したばかりの

トンプウファンは、

「第二期紅衛兵」によって

打ちのめされ、

階段から突き落とされて

下半身不随になった。

……かわいそうに……親友だった。

プウファン君の父親は

……党のナンバー3にあたる

政治局常務委員だった

『トンシアピン(鄧小平)』だ。

この父親も失脚し、

地方に隔離状態だという。





マオ主席は、

自分以外の人間を

すべて『信用していない』。

ひょっとしたら、

マオ主席には、

子供が四人いたそうだが、

この『文化大革命』以前に、

四人共死んだと言われている。

その『恨み』からか…………。

それはとも角……。





一九六八年。





 『下放』の命令によって、

中国の「都市」から

若者がすべて追放され、

姿を消した。

そして、

すべての学校も閉鎖された。

学問は今の中国では皆無だ。

自分以外の人間は

すべて信用しない、

信用できない人。

己れより学問・知識を

身に付けている人間を

『抹殺』する人!

それが『マオ主席』だ!

独裁者の宿命!



僕は去年(六八年)の一月、

『下放』によって、

この凍てつく「内モンゴル」に来た。

ちょうど一年になる。

 この高い塀の建物が家で、

労働する時だけ外に出て、

農民として労働する。

学問も思考も創造もなにもない、

ただ再教育のための

マオ主席の論文集だけが

僕達の教科書だ。



 ……なんてことだ、



これは全国民を

無知な囚人にするのと同じだ。

しかし、

僕はここで多くの勉強をした。

 「環境」や「人間」や「自然」に

対するものの見方だ。

土を掘り起こし、種を蒔き、水をかけ、

雑草を抜き、虫やその卵を取り除き、

肥料を与え育て、そして収穫する。

自然と付き合うことによって、

人の一生を一年で感じることができた。

『生きている喜び』を感じる。

以前、原稿用紙に

一字一字埋めていったように、

種を一粒一粒蒔いていった。

この足元の氷が溶けるころ、

また、それを始める。

 僕は、マオ主席を嫌っている。

しかし、

マオ主席は僕に

すばらしいことを教えた。

農業をすることで自然と一体になり、

人間が自然の一部であることを体で感じ、

自然が生きると同時に

己れも生きる、

己れが生きると同時に

自然も生きる。

 そして……そして

『血と涙と愛もある人間』

に生まれ変わることが

出来たのだから……。





僕はいつか、

この体験を小説に書いて、

映画にしょうと思っている。

 『赤と黄色と緑の紅衛兵』の映画を……。

しかし、ひょっとして

この生活が一生続くかもしれない……。

君達は、外国人だ。

すぐにもここから出られるだろう。

でも、忘れないでほしい。

中国の『文化大革命』が、

どんなものだったかを。

そして、僕のようなそんな人間が

五千万人から一億、

この中国の各地にいることを。

十億以上の人間から考えれば、

わずかに十パーセントだが、

しかし、毎年その数は増え続けている。

この『文化大革命』は、

世界史上,類の無い

『独裁と大量虐殺』であると同時に、

『人間と自然が一体』になったことを、

忘れないでくれ!







3 リムジンカー




「ニー、ファンズ、ファイラ

(部屋に帰れ)!」

大声で叫ぶ声が聞こえた。

笛が吹かれ、

監視していた解放軍兵士が

口々に叫びだした。





ダニーが言った。

「君を信じよう。

この『文化大革命』がどんなものか、

分かってきた。

君の名前を聞いておきたい。」

「僕は、『リー・ズンシィン

(李承信)』だ。」

「俺はフランス人のダニー、

そして日本人の栗須(くりす)に

アメリカ人のビル……。

お前さんに、

いつかまた会えることを

楽しみにしている。」

『ズンシィン』は足踏みをしながら、

一つのドアーに向かって歩きだした。

後ろ姿は

絶え間なく震えているように見えた。

栗須達も、

それぞれが別れて部屋に帰った。

栗須の頭の中で

『ズンシィン』の語った

『赤と黄色と緑の文化大革命』の映像が、

ぐるぐる回転しだした。





その日の夜、



三人は、護送車に乗せられ、

又も氷の中を走りだした。

三人には不安と恐怖が、

護送車の振動とともに

押し寄せてきた。




 『糾弾』・『造反』・『下放』……




振動が恐怖を増幅する。

車はひたすら走り続ける。

沈黙と緊張が





次の日の昼まで続いた。



昼過ぎ、

頑丈な塀と門の中に、車は入り、

寄宿舎のような建物の

別々の部屋に入れられた。



そこはこじんまりした個室で、

ベットとテーブルと椅子、

それにバスルームが備えられていた。

「御ゆっくりしてくださいませ。」

英語でそう言った女兵士は、

姿を消した。

 栗須は狐に摘まれたような気がした。

厳しい追求か、

『糾弾』か、あるいは『下放』が

あるかもしれないと覚悟していたが、

この部屋の様子からさっすれば、

客人扱いである。

 部屋の中を見回し、

盗聴か毒ガスの管か

何か異常な状態のものを

捜し回った。

が、それらしきものが

無いことを確認してから、

ソ連からの衣服を

すべて脱ぎ捨てて、

シャワーを浴びた。

そして、

ベットの上に置かれた

パジャマを着て

ベットに潜り込んだ。

体は固い緊張から緩和が支配し、

深い眠りに入った。





栗須は久しぶりに夢を見た。

木の枝に得体の知れない

生き物が座っていた。

よく見ると、

長いあご髭をはやした生き物だった。

その生き物が言った。

「中国は四千年の歴史がある。

わしはその四千年を生きておるが、

今まで真の革命家に会ったことがない。

『秦の始皇帝』しかり、

『項羽』しかり、

『劉邦』しかり、

『史記』や

『三国志』

『十八史略』

『水滸伝』

『西遊記』…………

どれもこれも

真の革命家が見当たらん。



 『民衆のために

己れを捧げる革命家』

 は、おらん。

どれもこれも

己れの欲望で生きておる。

アジアにもヨーロッパにも

アフリカにもアメリカにも

おらんらしい。

 ……そうじゃ、

南米に一人居るらしいが、

わしゃー

合ったことがないのでなぁー、

分からんわい……。」

そこまで言うと、

突然、

飛び上がってどこかに行ってしまった。

まわりを見ると大草原に

『光子』が一人立っている。

栗須が呼ぶと、笑っている。

そばに行こうとしたが、近付けない。





次の日、十時。

 緑の軍服を着て、

腕に「紅衛兵」の腕章を巻き、

頭に星印の帽子を被った

女性兵士が、

ドアーをノックして入ってきた。

流暢(りゅうちょう)な英語が

聞こえてきた。

「お着替えは、

すべてこちらに

置かさせていただきます。

御用のおりは、

何なりとお申し付けください。」

昨日までの対応と

まったく異なるため、

栗須は狼狽(ろうばい)しながらも

英語で言った。

「あなたに、

お尋ねしたいことがあります……。」

栗須は、黒い瞳を見つめて言った。

「ソ連から一緒に脱出してきた、

『光子』という名の

女性がいたはずだが、

消息を知りたい。その……」

「誠に申し訳ありませんが、

わたくしは何も存じておりません。」

窓のカーテンを開けながら、言った。

彼女は何も知らないだろうことは

分かっていたが、

栗須は聞かずにはおれなかった。

『光子』に何が起こったのか、

あの内モンゴルの高い塀の中に

今もいるのだろうか。

あるいは、

我々と同じ待遇を得ているのか。

それとも、『糾弾』……。



 栗須は黙って着替え始めた。

白のワイシャツとウールの背広、

そして、バックスキンのコートが

用意されていた。 

着替え終わり、

ネクタイを絞め直し、

コートを腕に持ったとき、

女性兵士が言った。

「ご案内申しあげます。」





部屋からフロアーを通り、

外に出ると、

目の前にフランス製

大型『リムジンカー』が停止していた。

数名の解放軍兵士が待ち構えており、

敬礼してドアーを開ける。

栗須が中に乗り込むと、

中にはダニーとビルが

ソファーのようなシートに

どっしりと座っていた。

 やはり最大のおめかしをして、

座っている。

「パープル!お前さん、

誰とデートする気だい?」

ダニーが、冷やかすように言った。

ビルが、口笛吹いてそれに合わせた。

「これは、どうなってるんだろう!?」

栗須は、ダニーと向かい合わせに

座りながら言った。

リムジンカーは振動もなく、

走りだした。

外はやはり氷の世界だった。





一時間程走って、

ちょっとした街の中に入り、

車は停止した。

 降りると『飯店』がそそり立っていた。

 が、その時、

メインストリートの向こうから

大勢の人々が声を張り上げてやって来た。

先頭には、

藁(わら)をすっぽり被り、

頭に三角巾を巻いて、

後ろ手にロープで括(くく)られた

二人の男が

長い棒で叩かれながら歩いて来た。

 解放軍兵士が

先を案内して中に入ったが、

ダニーが英語で言った。

「あれが、『糾弾』だ!」

「あの『リー・ズンシィン』が言ってた

『糾弾』か。そして、『下放』!」

栗須は、目の当たりに見た

この『造反』に

ショックを受けていた。

飯店の中で、

雑炊と肉蔓と前菜という簡単な食事を

すませた栗須達は、

また「リムジン」に乗り込んで

走りだした。





二時間ほど走ったところで、



解放軍の兵士が前方を指差して

声高に叫んだ。

「ワンリー!ワンリー!」

栗須はフロントガラス越しに

前方を見つめた。

露天の店が両側に並んだその奥に、

高い門がそびえ、

そして、その両側に、

土レンガを積み重ねた壁が

左右に伸びている。



『万里の長城』



栗須は、日本語でつぶやいた。

教科書や写真で

何度も見たことがある

『万里の長城!』だ。

解放軍兵士も、

他の建物を見るのとは、

異なったまなざしで見つめている。

「リムジン」は、

スピードを落として城門に近付き、

下をゆっくり通り抜ける。

ダニーが、栗須を見て言った。

「このリムジンは、

北京(ペキン)に向かっている!」

「北京?

どうして分かるんだ?」

「城門の隅に、

北京の方向が書かれてあった。」

「北京に、なぜ我々を……」

車は何の返事もなく、

また猛スピードで走っている。

間違いなく南下していることは、

厚い雲の間の、

かすかな明かりに

向かっていることからもわかった。

しばらく走ると左手に

空港が目に入った。

……飛行機で国外に……

と一瞬喜びを浮かべた。

 が、

車はますますスピードをあげてまい進し、

空港を通り過ぎてしまった。

三十分程で、

今度は橋を渡り

広い道路に出た。

突然、人間の大群に出会い、

車はスピードを落とした。

クラックションを鳴らし続ける。

人々の眼は、険悪な表情だ。

大群の先頭には

十人前後の白服を着て、

後ろ手にロープで括られ、

頭には三角巾、

胸には、漢字で書かれたプラカードを

吊されている男女がいた。

 「紅衛兵」の腕章を巻いた若者が、

リムジンカーを止めた。

助手席の解放軍兵士は外に飛び出す。

「紅衛兵」は、後に飛び下がり、

直立不動の敬礼をする。

「紅衛兵」より「解放軍」の方が

上になるらしい。

 「紅衛兵」は、大群を横に退かせ、

後ろ手のロープに繋(つな)がれた人々を、

足でけとばしながら横に退かせた。

数人が転んだが、

足で蹴り続けて移動させる。

「酷いことをする。」

ビルが英語でつぶやいた。

また、リムジンはスピードをあげて南下し、

大きな道路で右におれた。

西に向かったらしい。

道路脇に「東長安街」、

と書かれている。

少し走った時、

解放軍の一人が中国語で言った。

「ここが

『テイエンアンメングウアウチャン』

です。」

それと同時に標識が、

『天安門広場』にかわる。

車はスピードを落とす。

広場を通り抜け、右に折れる。

そこには城門があり、

その上には、

10メートル四方の巨大な

『マオツオトン・ジュウシ』の肖像画が、

掲げてある。

肖像画が、

彼らを冷酷に睨(にら)みつけた。

その門の下を、

媚(こ)びるようにリムジンが通る。

「ここは、特別許可された

車しか通れません。」

解放軍兵士が、英語で言った。

その門の上には間違いなく

『天安門』と

大きな漢字が書かれてあった。

 そのまま車は北に進む。

次に

『午門』の下を通る。

その時

『紫禁城』が、

飛び込んできた。

それも間違いなく

テレビや写真で見たことのある

『紫禁城』だ。

 すぐ左に折れ、

突き当たりを右に、

そして、左に折れると橋がある。

『中南海』と書かれた標識。

橋の周りは解放軍兵士が、

自動小銃をもって警戒している。

 車は停止する。





解放軍兵士が、

二・三重になって車の回りを囲む。

助手席の兵士が車から降りて、

警備兵舎に入る。

数分して車に戻って来た時、

包囲していた兵士は後ろに退く。

車は発進して橋を渡り、

美しく整備された住宅街を走りだす、

ゆっくりと。

塀で家の中は見えないが、

一軒が千坪をこえる広さだ。

今までの中国の町並とは、

まったく異なる場所だ。

車はある門の前で停止した。





門は中から開かれ、

車は吸い込まれて行く。

停止し、ドアーが開かれる。

 栗須達は降り立つ。

「よくいらっしいました。

どうぞこちらへ。」

突然、緑の軍服に

紅衛兵の腕章を巻いた、

美しい中国人女性が英語で言って、

家の中に案内する。

三人はコートを脱ぎ、

緊張した面持ちで歩を進める。

 輝く大理石の上を歩く。

そして、奥の部屋に通された。

 ペルシャ絨毯(じゅうたん)の上に

テーブルと大きな藤椅子、

壁にはベルギー絨毯が

額に入れられ飾ってあり、

部屋の隅には、

一メートル以上ある

明朝時代の陶器の壷が

置かれた部屋だった。

女性がドアーから出て行った。

 その時突然、

正面の藤椅子が回転した。

 その椅子に、

緑の軍服と

赤地に黄色の腕章を巻いた

太った男が、

座っている。

その男の顔を見たとき、

三人は自分の目を疑った。

そして、

『驚愕(きょうがく)』と

『恐怖』のあまり、

おののき立ちすくんだ。

ビルが、声を震わせながら、

英語で叫んだ。





「マ……マ……マオ……、



あなたは、

マオツオトン・

ジュウシ

(毛沢東主席) ですか?」







第十一章  マオツオトン・ジュウシ

(毛沢東主席)の駆け引き』に 続く。 





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第一章   白夜のささやき

        (公開中)


第二章   カットグラスの輝き

        (公開中)

第三章   裁き

        (公開中)

第四章   轟(とどろ)き・・・

(ダニーの話)

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第五章   ラーゲルの吹雪(ふぶき)

        (公開中)

第六章   殺人の痕跡・・・

(ドクター荻野の話)

        (公開中)

第七章   「アッシュ」の手引き・・・

(ビルの話)

        (公開中)

第八章   偽装の閃(ひらめ)き

        (公開中)

第九章 ダイヤモンドダストの瞬(またた)き

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第十章   若き紅衛兵の嘆き

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第十一章  マオ・ジュウシの駆けひき・・・

(五人めの妻の話)

        (公開中)

第十二章 ハッカ(旅する人)の呟(つぶや)き

        (公開中)

第十三章  飛べ!低く飛べ!

(チェ・ゲバラの話)

        (公開中)

第十四章  リビアンスター

(リビアの星)

        (公開中)

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