トップページ



「小説」の見出しページ



パープル・サンフラワー(小説)

マルタン丸山



第十一章 『マオツオトン・ジュウシ

(毛沢東主席) の

駆け引き』







           (「マオの五人めの妻」の話)





     <これまでのあらすじ>



一九六八年八月、

日本人大学院生『栗須(くりす)』は

学生紛争で

機動隊に閉鎖された学舎を後に、

横浜からソ連船に乗り、

ソ連(旧ソビエト連邦)の

モスクワから

北欧を通って

ヨーロッパに行こうとしたが、

ふとしたことから

チェコ・スロバキアの改革

(プラハの春)に対する

「ワルシャワ条約機構」の

武力介入に巻き込まれ

「KGB(ソビエト秘密警察)」に

逮捕された後

「シベリア収容所」送りとなった。

 フランス人で

「パリ革命」首謀の

赤毛の『ダニー』のもと、

二十五人の「外人部隊」と

呼ばれる連中と助け合いながら

月日を過ごし、

冬将軍が飛来するころ、

強烈な腹痛と高熱で

病院に収容される。

 その病院の元日本兵で病院長

『ドクター荻野(おぎの)』に

一命を助けられ、

その娘の光子の協力で

脱走に成功し、

収容所のダニー以下

数名をも脱出させたが、

それを引き金に

ソ連と中国は武力衝突を起こし、

六人の国境侵犯者

(日本人の『栗須』・

フランス人の『ダニー』・

アメリカ人の『ビル』・

日系ロシア人の『光子』・

その他二名)は、

激しい砲弾の中を

中国側に走り続けた。

 が、中国は、

『文化大革命』の真っ最中で、

下放(地方の農村での強制労働)

させられた元『紅衛兵』に、

数千万人を飢死させ見殺しにした

『マオツオトン(毛沢東)』の

残虐な独裁政治の話を聞いた後、

解放軍に拘束されたまま

栗須・ダニー・ビルの三人だけが

北京の特別区に連行される。

 通された部屋には、

太った老人が一人

藤椅子に座っていた。







1、ポーリーティー(普茶)



一九六九年・北京



「あなたは、

マ、マ、マオツオトンジュウシ

(毛沢東主席)ですか?」

『天安門』の肖像画より

歳のいった老人が、

目の前に座っていた。

 ビルが声を震わせながら、

英語で叫んだ。

栗須(くりす)もダニーも、

膝がとめどなく震えた。

   人間としての血も涙もない、

あの冷血独裁者が

目の前にいる。

前頭葉の禿げ上がった、

巨大なオラウータンの様相をした

その老人は、

右手の人差し指を突き出し、

三人に合図をおくった。

 そこには、

青いビロードの布が被せてある

長椅子があった。

この部屋に入ったときには、

開かれたドアーの影になって、

三人の目に入らなかった椅子だ。

 三人は不自然な動作をしながら

後ずさりし、

椅子に腰掛けた。

 右のドアーから、

「紅衛兵」の腕章を巻いた

若い兵士が入って来て、

老人の斜め後ろに立った。

 老人が、

口をもぐもぐさせながら、

訛(なま)りのある中国語で話しだすと、

英語で同時通訳した。

「……この部屋によく来てくれた。

わしが

『マオジュウシ(毛主席)』だ。

……君達の行為を賛美し、

君達を、『英雄豪傑革命戦士』として

誉め讃えたい。

……君達の行動は、

『修正主義敵国ソビエト連邦』に

大打撃を与えた。

……これは、

我が『文化大革命』における

手本であって、

みなが見習うべきで……。」

そこまで話したマオは、

喉にタンを詰まらせて

咳き込んだ。

うしろの同時通訳を

行なっていた兵士は

慌てふためいたが、

マオは口から手を放し

藤椅子の肘掛けを握りしめた。

 その瞬間、

左のドアーから数人の兵士が、

小銃を持って飛び込んで来た。

 長椅子に座っていた三人は、

跳び上がりながら

両手を高々と上げた。

 マオが、何かつぶやいた。

一人の兵士が、

同じドアーから

外にとびだして行った。

 そのすぐ後に、

三人をこの部屋に案内した

美しい中国女性が、

箱を持って入って来た。

美人は、この時代では珍しい、

ピンクのチャイナドレスに着替えていた。

 薬品らしき液体が、

マオの口の中にいれられる。

むせかけたが発作はすぐに治まり、

マオは、

両手を下に垂らして

目を閉じていた。

 兵士は小銃を前に突き出し、

三人を部屋から追い出しかけたが、

マオが何かつぶやいたために、

兵士は後ずさりをし、

マオの側に付いた。

 三人は両手をおろし、

青い長椅子に座りながら、

安堵(あんど)の息をはいた。

   それから、マオを見つめた。

この部屋の人間全てが、

時の流れを忘れたように、

ただじっとマオを見つめた。

マオは、

このまま死の世界へ落ち込むように、

深い眠りに入っている。





 どれほどの時間が流れたのだろう。

マオの左手の指が少し動き、

マオの口から

鼾(いびき)のような

低い息が漏れて来た。

それと同時に、

美人の中国女性は、

兵士に合図をおくり、

兵士は全員部屋から退出した。

美人は流暢(りゅうちょう)な英語で、

三人にリラックスするように言って、

奥の部屋から

二台の手車をはこんできた。

開き戸の中から

急須(きゅうす)を出し、

マオの横にある火鉢の上の

ヤカンからお湯を入れ、

五つの湯呑みに注いだ。

そして、その湯を壷の中に入れ、

もう一度、

三つの湯呑みにお湯を注いだ。

そして、三つの湯呑みを

手車の上に置き、

彼らの前に据えた。

 湯呑みから甘い香りが、

三人の鼻に届く。

「ポーリーティー(普茶)でございます。

マオ主席特製のお茶で、

特に好まれていらっしゃる

お茶でございます。」

と言いながら、

マオと自分の間に

もう一台の手車を置き、

同じ急須から

二つの湯呑みに茶を注いだ。

そして、

一つの湯呑みを手に取った。

「ご安心ください。

けっして異物は入っておりません。」

と言って、口をつけて飲んだ。

 すると、

美人は、

それまでのやや青白い顔が

ほのかに赤みをおび、

より美しい頬があらわれた。

三人は、顔を見合わせた後、

その湯呑みを手に取った。

 三人とも先ほどの緊張のために

喉がかさつき、

生唾さえ出てこない状態だった。

 茶は甘い香りと共に、

口の中では、

玉を転ばすような

まろやかさとほろ苦さで、

喉の奥に吸い込まれていった。

「デリーシャスだ。」

ダニーが英語で言った。

 美人は、

微笑みかけながら急須を持って、

三人の側に進み、

湯呑みに継ぎ足した。

 三人とも、

心が軽やかに飛び立つ想いがして、

また、口に注いだ。

 不思議な心地を呼び起こす、

お茶である。

「マオ主席は、

御病気なのですか?」

ビルが心配そうな顔で言った。

「申し訳ございません。

それについては、

お答え出来ません。

マオ主席の主治医だけが、

答えられる質問でございます。」

「分かりました。

では、何故、我々は

『中華人民共和国』の

トップでいらっしゃる

『マオ主席』の御屋敷に、

来ることになったのですか?」

「申し訳ございませんが、

それについても

『マオ主席』でしか

お答え出来ません。」

「マオ主席は、

おいくつでいらっしゃいますか?」

ダニーが、

まったく話を変えて尋ねてみた。

「七十六歳でいらっしゃいます。」

美人が答えた後、

栗須が、

マオの藤椅子の

腰あたりに置いてある

「本」を見て言った。

「『マオ主席』は、

司馬遷(シバセン)の

『史記(しき)』を

お読みなんですね。」

「ええ、読書がお好きでいらっして……」

栗須の頭の中に、

元紅衛兵の『リー・ズンシィン』の語った

『マオ主席』が、中国全土の書物を、

全て焼却するよう命令した

『焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)』を

思い出し、

〈中国人民すべてを

無知にさせておきながら、

己れだけ

読書をするのか!〉

 と義憤(ぎふん)を感じたが、

声には出さなかった。

「……『史記』以外に

『シジツカン』をお読みです。」

「『シジツカン』ですって?」

栗須は、その本を読んではいなかった。

「ええ『資治通鑑(しじつかん)』です。

……今から約九百年前の司馬光の著作で、

歴代の皇帝について

書かれた書物でございます。」

 三人の顔を見ながら、続けた。

 「……いえ、決して

私自身が読んだのではございません。

マオ主席のお話のお相手を

させていただいております時に、

マオ主席に教わった事でございます。」

「マオ主席はどのような皇帝を、

好んでいらっしゃるのですか?」

ダニーが意味ありげな顔で尋ねた。

「まあ、難しいご質問で……

どの皇帝とは、

おっしゃってはいらっしゃいませんが、……

 『中国のこれまでの皇帝は、

世襲制(せしゅうせい)だからだめだ。』

 とおっしゃっておられます。

 『父親が皇帝なら、

どんなバカな息子でも皇帝になる。

国を治める能力など何もない男が

皇帝になる。

 バカな皇帝なら、

しっかりした大臣をつければいい、

と思うが、

そうはいかん。

皇帝がバカなら、

大臣が自分かってなデタラメをやるか、

ぬるま湯につかったように何もやらぬ。

 そうさせぬためには、いつでも、

首を据え変えるようにしておくことじゃ。

が、それがまた、

バカな皇帝にはできんのじゃ。

己れを奉(たてま)つる、

取り巻き連中の首をどうして切れる。

 よって、国は滅ぶ。

これは国だけではない。

あらゆる社会に当てはまる。』

私がお尋ねしましたの。

 『もし、どうしてもバカな子供が

後を継ぐことになったら、

どうすればいいのですか?』

 そうしましたら、笑いながら

 『資治通鑑(しじつかん)を

熟読することじゃ。

そこには、

すべてが網羅(もうら)されている。』

 『人民はどうすればいいのでしょう。』

 と、申しあげますと、

 『革命じゃ。

革命しかないじゃろ。

革命は血を見る。

血を見るのがいやなら国は滅ぶ。

その時には、人民は

〈意志のない人間〉になることじゃ。

そして、ひたすら交尾を重ねて、

次の世代に

己れの細胞を受け継いでいくのじゃ。』

 とおっしゃって、

またお笑いになりました。

   ……そうですわ!昨日、

マオ主席がおっしゃってました。

 『ワシが死んだ後、

未来の資治通鑑は、

ワシのことをなんと書くじゃろう。』

 って。

私が申しましたの、

 『マオ主席は、

心がお優しいから、

きっと、

すばらしい皇帝と書かれますわ。』

 って。

そう致しましたら、

 『ワシの心を分かってくれるのは、

マウキンウンだけだ。』

 失礼、私の名前は

『マウキンウン(孟錦雲)』で

ございますが、

その後、

 『ワシのやってる事の功罪は、

後人が決めるが、

今後の中国に

「世襲制」がなくなることを

願っておる。』

 と、おっしゃいました。」





話を聞きながら

ビルの頭の中には、

『数千万人を餓死させた皇帝』という

キャッチフレーズが浮かび、

栗須の頭の中には

『国民を無知にさせた皇帝』と浮かんだ。

ダニーには、

この目の前で眠るマオに

興味があるらしく、

また、意味ありげに尋ねた。

「マオ主席には、

ご家族はいらっしゃるのですか?」

マウキンウンは、

横の『眠れるマオ』を見ながら

『ポーリーティー(普茶)』を飲んだ。

そして、

また赤い頬で、

英語を話しだした。







     2 マオの五人めの妻





マオ主席には、これまでに、

『四人の奥』がいらっしゃいました。



 ……最初の奥様は、



『ラシー(羅氏)』様で

いらっしゃいました。

 一九〇七年のことでございます。

 その時代は

「清」の時代の

古いふるい習慣が

ございましたので、

しかも、お兄様お二人とも

死産なさっておられましたので、

マオ主席が、御長男として

家督をお継ぎになられることと、

あいなりました。

 御結婚式は、

それはそれはご立派なもので、

三日三晩提灯行列と花篭、

飲めや騒げや大判振舞いで、

その当時はどちらのお宅も

全財産を注ぎ込む位に、

行なったそうですが、まあ、

今からは

想像も及ばないことでこざいます。

 同じ村のお嬢様である

『ラシー様』は十八歳で、

マオ主席より

四歳年上でいらっしゃいまして、

姉様女房と申しましょうか……いえ、

あの時代は

どの殿方も、

だいたい十四・五歳で

ご結婚なさり、

奥様はすべて

年上の御方でございました。

 なんと申しましょうか……

十四・五歳の殿方では、

夫婦の夜の営みの方が

無知に近いものでございまして、

すべて年上の奥様が、

筆おろしと申しましょうか、

手ほどきと申しましょうか、

ナニをなさるように

教育されていた

そうでございます。

 無論、殿方の方は、

後々、お若い御妾(おめかけ)さまを

何人かお持ちになります。





 ラシー様は

誠にお優しい方でございまして、

初夜には

マオ主席のお体のすべてに

愛撫なさった

ということでございます。

 でも、マオ主席でございますが、

このような心も愛もない

古い風習や結婚に

反対なさったそうでございます。

 この奥様とは、

初夜の一度だけで、

それ以後は添い寝なさらなかった

ということでございます。

 実はこれは内緒のお話ですが、

それには別の逸話(いつわ)が

ございまして……。

 マオ主席は笑いながら

おっしゃるのですが、

「戸口に入る前に

放出してしまい

自虐(じぎゃく)的

自嘲(じちょう)的になった」

そうでございます。

 殿方にとっても、

女性と同じくこの初めての夜は、

その後の人間向性の

重要な位置をしめている、

とマオ主席から

お聞きいたしました。

 それから一年ほど致しまして、

『ラシー様』は

原因不明の高熱で

お亡くなりになられました。

おいたわしゅうございます。





マオ主席は、

家業の農家を継ぐことを中断し、

長沙の中学校に

入学なさいました。

十七歳のお歳でございます。

その年はちょうど

『辛亥(しんがい)革命』が

起こった時でございまして、

マオ主席は革命に参加され、

『革命』の中に青春をあじわい、

ご自分の生きる道を悟られた

ということでございます。





十九歳の時、



師範学校に入学なさいまして、

恩師の

『ヤンチャンチー(楊昌済)』先生に

お会いになられました。

 先生はちょうど日本留学から

お帰りになられた時でございましたが、

それから七年間、

先生が北京大学の

教授におなりになられた後も

傾倒(けいとう)なさりまして、

「哲学」や「マルクス主義」に

心酔なさいました。



ところで、先生には

一人のお嬢様が

いらっしゃいましたが、

名前を

『ヤンカイホェイ(楊開慧)』様

と申されます。

 その七年間

ご一緒に勉強なさり、

そして

愛を育てられました。

先生がお亡くなりになられた

次の年に、

お二人はご結婚なさいまして、





マオ主席二十七歳、

奥様のヤン様は十九歳の時だ

そうでございます。

 ヤン様は知的でお美しい方で、

……私、一度マオ主席から

お写真を見せて戴いたのですが、

本当にお美しい方で、

私の今の

この短く切り揃えた髪型が

ヤン様の髪型で、

マオ主席が私に

お薦めになられたものでございます。

その時の結婚式は

実に簡単なもので、

ご両人と友人だけの

集いだったそうでございます。

 その夜のことでございます。

マオ主席は、

前の奥様とのような

失敗はなさらなかったのですが、

ヤン様の方が大変でございまして、

出血するやら、

激痛が起こるやら

高熱に襲われるやらで、

三日三晩うなされ、

床に伏せたままだった

そうでございます。

その年は、

一九二一年だったでしょうか、

『中国共産党』は

『ロシア革命』より遅れること

三年で、

創立されました。

勿論、

お二人は入党なさいました。

 そして、

各地を転々と移動し

「マルクス主義」を農民の人々に

啓蒙(けいもう)なさっていかれました。

 勿論、その移動は野営で、

ほとんど野宿同然、

最初は農民の方のお宅に

泊めていただいていたので

ございますが、

時の役人が、

その泊めた家を、

片っ端から捜し当て、

ひどい仕打ちをしていたらしく、

それを知って以後は、

野宿をしながらの

啓蒙(けいもう)だったそうで

ございます。

 その間に

『男のお子様が三人

(岸英・岸青・岸龍)』が

お生まれになられ、

貧しく苦しい中でも

それはそれはお幸せな生活だった

そうでございます。

 その頃は、

多くの党員の方は

フランスやドイツに渡り、

働きながら「マルクス」を

ご勉強なさっておられまして、

たとえば

『チョウエンライ(周恩来)』様は

ドイツへ、

今は更迭(こうてつ)されておられます

『トンシアオピン(鄧小平)』様は

フランスへ、

というぐあいでございます。

 現在のお二人は、

明暗を分けた生活を

なさっておられますが、

どちらも実務家で、

今の世は『チョウエンライ(周恩来)』様、

次の世は『トンシアオピン(鄧小平)』様、

とマオ主席はおっしゃっておられます。

 マオ主席はどちらの国にも留学せず、

あくまでも中国で活動なさって

いらっしゃいまして、

どのような僻地でも出掛けられたそうで、

敬服するばかりでございます。





ところがでございます。



 一九二七年の革命は

『失敗』に終わったのでございます。

 他の党員と共に、

家族五人は逃げ惑い、

いえ、『後退』し、

マオ主席と奥様のお首には、

それぞれ『二千元の懸賞金』が

賭けられたのでございます。

当時の二千元と申しますと、

一家族が一生食べていける大金で、

マオ主席はゴビ砂漠へ、

奥様とお子様は

マオ家の実家に

身を寄せたのでございます。

 その時の親子の別れを、

今もマオ主席の心の中に

大きく焼き付けておられます。

 マオ主席は

今生(こんじょう)の別れかもしれぬと、

奥様とお子様に

御自分の詩と手紙を

『お守り袋』に入れて

渡されたそうでございます。

特に、

三男の『ガンウン(岸龍)』様は

一歳でございましたので、

可愛くて堪らなかったのでしょう、

長いながい詩を

お書きになったそうでございます。

そして三年後の

一九三〇年でございます。





 ……『チァンチェーシー(蒋介石)』の

『国民党』に

奥様とお子様は逮捕され、

……『銃殺』されて

おしまいになられました。

おいたわしゅうございます。

 ところが、

国民党の保安隊の公式発表では、

奥様とお子様お二人の『三名』の銃殺

とあるだけで、

三男の『ガンウン(岸龍)』様の

お名前が書かれていなかった

のでございます。

それ以後

マオ主席は何度も行方を捜されましたが、

現在も行方不明のままで

ございます。

今御存命ならば

四十二~三歳と思われます。





次の奥様は、



『ホーシチン(賀子珍)』様

とおっしゃる御方でございます。

 『ホー』様は

赤軍の実戦女性兵士で

ございましたが、

勇猛果敢(ゆうもうかかん)な

マオ主席に

一目惚れと申しましょうか、

心を寄せられ、

ヤン様とお子様の

銃殺のあい前後いたしまして、

ご結婚なさいました。

 マオ様のぽっかり穴が空いたお心を

お埋めになるように

おさまられたのでございます。



 この頃の党員の結婚は、

党の許可が必要でございました。

党に三年間、席を置き、

党の上級の三名の承認が

必要でございました。

 それは、

もしどちらかが

『国民党』のスパイであったなら、

大変なことになるからでございまして、

お二人はすぐに

承認されたそうでございます。

 ホー様はたいへん

エネルギッシュなお方でございまして、

昼は実弾で敵の国民党と撃ち合い、

夜はマオ様に

毎夜お求めになられたそうで、

マオ様もやや閉口なさった

そうでございます。

 その後、

『三人の女のお子様』が

お生まれになられました。

 なにぶん

革命の真っ最中でございましたから、

それぞれの解放区の農家に、

三人のお子様を

いくらかの養育費と一緒に

あずけられたのでございますが、

後に社会が落ち着いてから、

マオ主席が引き取りに

まいられましたが、

三人とも御病気で

亡くなられておられました。

 その当時の中国の農民は

作物すべてを

税に取り立てられ、

自分達は、雑草や木の実で

生きる糧を

繋いでいたのでございます。

小さい赤子が生きるには、

あまりにも

酷い世の中だったのでございます。

その後、

『国民党』と『赤軍』は、

一旦停戦し、

『日本軍』と戦うこととあいなりました。

 やはり毎日が戦いと

移動の連続だったのでございますが、

『女の子二人』がお生まれになられ、

一九三八年には

『男子』がお生まれになりました。

その年、

モスクワより『赤軍』に、

マルクス主義の研究生を

派遣するように、

という依頼がありました。

ホー様は、

なにごとにも情熱的な方で

いらっしゃいましたので、

その留学に飛び付くように

希望されました。

実戦派のホー様は、

正式な理論で裏付けた

マルクス主義が

欲しかったのでございましょう。

 が、マオ主席は反対なさいました。

三人の御子様のことが

あったからでございます。

 お二人は『離婚』の形を取り、

党も承認いたしまして、

母子はモスクワに渡られることと

あいなりました。

 その時のホー様は

生き返ったように

勉強なさったということです。

 ところが、

マオ主席は、

人間が変わったようになられました。

その年から、

マオ主席は、

『文化大革命』の構想を練られた、

とお聞きしております。

次の冬のモスクワは大寒波が

押し寄せまして、

マイナス四十度以下が続き、

凍死する人間が続出しました。

 おかわいそうに、

男のお子様は

風邪をこじらせ、

肺炎になられてお亡くなりになりました。

まだ二歳でいらっしゃいました。

 この事が原因で、

ホー様は精神に支障をきたし、

モスクワ近郊の『精神病院』に入院なさいました。

その頃の中国は、

マオ様の士気の元で、

『日本軍』と死闘の戦いを

繰り広げましたが、

西へ西へと都を移されて

『後退』なさいました。

『後退も戦術の内』だと

マオ主席はおっしゃっておられます。





一九四五年、



やっと『日本軍』は敗れて

ほっとしたのも束の間、

またまた

『国民党』との戦いでございます。

 国民党は

アメリカからの

大量の物資と銃と資金でもって、

中国全土を覆い尽くすまでの

勢いでございます。

マオ主席は

またまたゴビ砂漠に都を移し、

そして

『国民党』の中や各都市や農村に、

同士のゲリラを送り込みました。

最初、

『国民党』の支配で

中国民は大喜びしましたが、

一・二年たつうちに

それが間違いであることに

気付きました。

 国民党の政治は、

昔からの古い政治、

すなわち

一部の特権階級の者だけが贅沢をし、

国民の大多数は、

貧しい生活を

虐(しいた)げられのでございます。

『赤軍』のゲリラは、

国民の一人ひとりに、

 『人間の尊さと人間の平等、

男女平等』

 を説きました。

そして赤軍が政治につけば、

食べることは

一切苦労しないという

マルクス主義の『平等分配』を

といたのでございます。

その様な時に、

『ホー様とお子様お二人』が

帰国なさったのでございます。

一九四七年

だったでしょうか。





 ……ところがでごさいます。



……なんと不幸なことに、

マオ様のお住まいの地に

車で行かれる途中、

『交通事故』に遭遇なされ、

『奥様とお嬢様お一人が亡くなり』、

もうお一人の『十一歳のお嬢様』は

『重傷』でございました。

 この事故で、

不思議なことが一つございます。

 衝突した相手の車が

同じ『赤軍の車』で、

その車はマオ主席とその時に

『同棲』しておられた女優の

『チャンチン(紅青)』様専用のお車

だったのでございます。

マオ主席は、

重傷のお嬢様を引き取られ、

ご一緒に生活なさいまして、

この時に党より

『チャン様』との結婚の許可を得られて

御結婚なさいました。





一九五十年

だったでしょうか、

『チャン様』との間に

『お嬢様』がお生まれになりました。

 ところが、

その幸福も束の間で、

チャン様は

「子供」がお嫌いでございまして、

しかも赤子に乳を与えると

ご自分の胸の

プロポーションが崩れることを恐れ、

お子様は人にあずけられました。

 しかも、

二人目のお子様を

身篭(みご)もられた時も、

非合法的に

人口流産なさったのでございます。

 私にはマオ主席のお気持ちが

十二分にお察し申しあげられるので

ございます。

 マオ主席は、それ以後、

チャン様と一

緒に生活なさらなくなったので

ございます。

 ……今は、先の奥様のお嬢様も

チャン様のお嬢様も嫁がれまして、

それぞれの生活をおくっておられます。





それに致しましても、



『十一人のお子様』の内、

ご『生存はお二人』、

『行方不明がお一人』

ということでございまして、

誠においたわしゅうございますと共に、

『波乱万丈(はらんばんじょう)の半生 でいらっしゃいます。







……まあ……、

私と致しましたことが、

『四人の奥様方』の、

このような話を致しまして、

誠にお恥ずかしゅうございます。

それもこれも、

マオ主席特製の

『ポーリーティー(普茶)』の

せいでございまして、

私の独り言と

お忘れ下さいますよう

お願い申しあげます。





3 息子




マウキンウンがそこまで話した時、

マオが藤椅子の中で目覚めたらしく、

身動きをしたので、

マオの肩あたりを揺すりながら、

耳元で何かをささやいた。

マオが三人を見ながら言った。

「あんた達に見苦しいところを見せてしもうた。

ワシも年をとった。……」

マウキンウンが通訳するのを待って、

また続けた。

「……あんた達がソ連のハバロフスクで出会った

『中国人』の話だが、……」

マオが話し続けているときに、

マウキンウンが中国語で問いかけた。

マウキンウンの顔から赤みがなくなって、

驚きの表情が読み取れた。

マウキンウンが言った。

「……申し訳ありません。

突然私が口を挟みまして、

端なく存じます。

マオ主席がおっしゃっておられるのは、

……ハバロフスクであなた方が出会った中国人は、

『マオ主席のお子様』で、

行方不明になっておられた

『ガンウン(岸龍)様』でいらっしゃるらしい、

と言うことでございます。」

三人は、またも驚愕(きょうがく)の余りに

飛び上がった。

あの時の、あの六十前後の老人、

車を譲ってくれたあの老人、

額にシワをいっぱい刻んで

人生の苦しみをすべて背負ったようなあの老人、

二十歳以上老けて見えるあの老人……。

 三人には、まったく、

想像することさえ出来なかった。

 ビルが辛うじて英語で尋ねた。

「どうしてあなたのお子様だと、

分かったのですか?」

「あんた達が持っていた『手紙』じゃ。

あれは、ワシが『ガンウン(岸龍)』と別れる時に、

書き与えた詩と手紙じゃ。」

栗須は、目の前のマオとあの老人と

どこに共通する血があるのか、

を読み取ろうとした。

  マオは、まさしく漢民族らしい顎のはった円い顔の、

目は茶色だが、

あの老人は、目だけが茶色で、

彫りは深く、鼻は平たく色黒で、

しかも、マオと年令的に等しいとしか思えなかった。

間があってマオが口を開いた。

「ガンウン(岸龍)には二つの特徴があった。

一つは、

胸の二つの乳の間にホクロがあること。

もう一つは、

……ガンウン(岸龍)が妻の腹の中にいるとき、

妻は党の仕事で走りまわっていたが、

井戸の側で転び、

腹を強打したらしい。

その為か、

『ガンウン』の『頭にアザ』があった……。」

栗須は、その時、

はっきりと思い出した。

 収容所を脱走した人数が多すぎ、

準備していた衣類がたりなかったが、

キルギス人に、あの老人は、

自分のコートと帽子を手渡してくれた。

間違いない、帽子を脱いだとき、

車のライトに照らされたあの老人の、

『右のコメカミ』に

親指よりやや大きめの『アザ』があった。

「マオ主席…… !」

栗須が言った。

「その頭の『アザ』は、

『右のコメカミ』で、

『円く黒いアザ』だったですか?」

「オ、オ……!!」

マオは、うめき声をあげて叫んだ。

「間違いない!ガン……!」



その後、マオは、じっと目を閉じたまま、

藤椅子にうずくまってしまった。

 時間が緩やかに過ぎていった。

部屋の者は黙ってマオを見つめていた。

 マウキンウンがマオの湯呑みに

「ポーリーテイー(普茶)」を注いだ。

 マオは、ゆっくり手を差し出して

湯気を顔にあてて飲んだ。

 マウキンウンの頬に、涙が零れだした。

部屋の中はただ沈黙が支配していた。

少しあって栗須が言った。

「マオ主席に、お尋ねしたいことがあります。

……ソ連を脱出したとき、

私達以外に『女性』が一人いたのですが、

今どうしているか、ご存知ではありませんか?」

マオは、藤椅子の手すりを握った。

 左の扉が開き、兵士が入って来て、

マオは何か彼につぶやいた。

兵士は一旦退出した後、

ファイルを持って来た。

 マオは何ページ目かのところを

見つめながら言った。

「あんたのいう女は、

まずいことにワシの敵である

『K・G・B(ソ連秘密警察)』だった!」



それを聞いた三人は、

又また椅子から飛び上がった。

 栗須の顔から、

みるみるうちに血の気がなくなった。

「……ミ、光子は、

『K・G・B』に追われていた人間で、

決して『K・G・B』などではありません。」

「ワシが言ったのは、

『……だった。』と言ったのじゃ。」

「腑(ふ)におちません。

どういう意味ですか?」

マオはゆっくり、光子のファイルを読み始めた。



       4 ファイル


「一九五十年、ソ連ハバロフスクに生まれる。

ロシア人の母と旧日本軍軍医・

現ハバロフスク病院長を父とし、

ハバロフスク小・中・高校を飛び級にて、

一九六七年モスクワ大学に入学、

日本文学専攻。

一九六八年よりソ連ツーリストを通して

『K・G・B』に参加、

日本人旅行者のモスクワでの

行動等の情報を報告。

同年十月国家に対する反逆行動あり、

同年十二月初旬ハバロフスクに帰郷。

同月父親ドクター荻野と

収容所より七名を脱走させ、

うち五名と共に同月二十八日、

国境侵犯により逮捕。

本国に亡命意志あり。」

そこまで読んで、

マオが言った。

「スベトラナ・光子は、

『K・G・B』の臨時職員だったことは

本人が認めとる。

パープル・栗須君、君のファイルも読んだが……。」

 マオは、ちょっと間をおいて話しだした。

 「君がソ連船で出会った

『A・Aトロナチェンコ』も

チェコ・スロバキア大使と名乗った

『カルダシェフ』も

『K・G・B職員』じゃよ。

君には分からなかったろうが、

名前がロシア人そのものじゃ。

チェコ人でもスロバキア人でもそんな名の者は

一人もおらん。

彼らは、あの船に乗っている日本人なら、

誰でもよかった。

たまたま君が的になった。

そして、君をプラハに送り込んで、

それぞれ二階級上がったそうだ。

二階級とは、彼らの十年間の仕事量に匹敵する。」

 「とんでもない、ソ連の裁判で、

彼らは死んだと……。」

 栗須は、そこまで言ったとき、

マオが口を挟んだ。

 「ソ連国内だからだ。

『K・G・B職員』と誰が言うかね?」

 栗須が黙りこんだのを見て、

マオが言った。  「……もう一つある、

君がプラハの『赤ヒゲ』と呼ぶ

『シュウンクマイケル』などは、

現在チェコ政府の重要ポストについておる。

彼らの演技は立派らしかったね。

あんたを、そこまで信じ込ませたのだから……。

ソ連は、他国に覇権(はけん)する時は、

いつもその手を使う。

国家が演技者を高く評価しているのじゃ。

 マオは次のページを開いた。

 「君のファイルを読むと、

君がプラハに行こうが行くまいが

どちらにしても、

プラハは戦車と戦闘機でやられとったよ。

『プラハ攻め』は九十九パーセント、

ワルシャワ会議で決定される予定だった。

一パーセントの最悪を考えて、

君には、

 『チエコ・スロバキアの為に、

パラハの春の為に』

 などと同情を誘い、

チェコに送り込んだのだ。

君をチェコ政府の『スパイ』に仕立て上げ、

ソ連の重要機密テープを持ち去り

モスクワを転覆させようとしたという理由で、

プラハ攻めするつもりだったのだ。

謝礼の千ドル(36万円)も

初めから君に進呈する気などなかったのじゃ。

 『人生は、その一パーセントに支配されておる。

己れ自身にはどうにもできぬ、

一パーセント』じゃ。」

栗須は黙りこくったままだった。

 去年の八月、

日本を出発した後で知り合った、

全ての人間が

『K・G・B』に関係していたとは……。

栗須は絶望に打ちひしがれ、

頭を抱えて涙を流して鳴咽(おえつ)した。

 マウキンウンが、

絹のハンカチを栗須に手渡した。

ジャスミンの香りが栗須を包んだ。

マオが言った。

「『光子』のことだが、

まだ『情状酌量』の余地はある。

それはモスクワ大学に特進で入学した者は、

すべて『国』すなわち『K・G・B』に、

自分の行動を報告する義務があり、

又いくつかの『命令』を、

消化することになっておる。

その義務を果たしただけじゃ。」

「マオ主席。お願いです。

光子を助けてやってください。

光子は私の命の恩人です。

どうぞ救ってやってください。

その為なら私はなんでもいたします。」

栗須は青い椅子から降りて、

ペルシャ絨毯の上に両手をついて頭を下げた。

その仕種は古くから中国では相手に従順する動作だった。

 ダニーが続けて言った。

「マオ主席。私もお願いです。

光子さんは収容所から

私を救ってくれた命の恩人です。

あなたの言い付けは何なりと従います。

どうぞ救ってやってください。」

ビルも続けて言った。

「マオ主席。私も同意見です。

お願いします。」

マオは、ファイルを閉じて、

三人を見ながらゆっくり言った。

「……ワシにはこれまでに、

二つの心配事があった。

一つは『息子』のことだ。

が、それは考えなくともよくなった。

今の中国に帰って来ても、

彼のいる場所はないじゃろう。

ワシは『世襲制』は好かぬからな。

それにワシの手紙を

あんた達に手渡したということは、

ロシア人になることを希望している証拠でもある。

長い苦労の末の決断じゃろう。

彼自身が生きていける所で生きてくれればいい。」



 やや考えて、続けた。

 「……もう一つの心配事は

『友人』のことじゃ。

……あんた達は三人とも

ワシの願いを聞き入れてくれるといったのう?

……あんた達の願いを聞き入れてもいいが、

ワシの願いも聞き入れてもらいたい。

ワシにもあんた達に頼みたいことが

一つあるのじゃ。

この世でただ一人の友の

その後の消息を知りたい。

あんた達は三人とも、

それぞれの国で『革命家』に等しい行動をした。

じゃによって、

あんた達なら彼の消息を調べられると思うのじゃ。

彼が生きているかどうか。

もし生きていて苦境に立たされているのなら

救ってやってほしい。

もし、死んでいるなら、それは仕方ない。」

 マオは

「ポーリーテイー(普茶)」を一口飲んで言った。

 この条件をのんでくれるなら、

あんた達の友であり命の恩人の

『光子』の名誉を取り戻そう。」

「分かりました。

必ずやり遂げます。」

栗須が言った。

ビルもダニーもうなずいた。

 それを見たマオは、

藤椅子の肘掛けを握った。

左の扉から兵士が入って来た。

マオがなにやら言うと、

兵士がファイルをマオに手渡し出て行った。

 マオはそのファイルの、

ある部分を開けてマウキンウンに手渡し、

三人の前に開けさせた。

マオが指差しながら言った。

「その新聞の、切り抜き写真を見たまえ。……」

三人は写真を見つめた。

一人の男が、数人の軍服姿の男達の足元で、

頭から血を流して倒れている写真だ。

ダニーが叫ぶように言った。

「これは、『 ゲ バ ラ 』だ!!」

「ゲバラ?」

「チエ・ゲバラだ!

『革命児ゲバラ』。

『キューバ革命』で『カストロ』と

同士を組んで成功させた人物だ。

三年前にカストロと仲たがいをして、

キューバを去ってから行方不明になっていたが、

二年前の一九六七年

アメリカの『C・I・A(アメリカ諜報部)』の

『秘密特捜隊』に

『南米ボリビア』の山中で

『射殺』された。」

「その通りじゃ。……」

マオが言った。

「……あんたは良く知っとるな。

さすが『五月のパリ革命』の中心人物じゃ。

……ワシはチェ・ゲバラとは、

十数年前の『ロシア革命四十周年記念大会』で、

モスクワで一度出会った。

ワシらは一晩中語り合った。

彼こそ真の革命家だ。

カストロは、腐敗したロシア的人間じゃが、

彼こそ偉大な革命家だ。

そしてワシ等は

無為の親友・竹馬の友となったのじゃ。」

 ダニーが言った。

「僕には、そして世界中の若者には

『神』に等しいほどの人物だ。

南米では、キリストの写真と一緒に

彼の写真が並べてある。

アメリカも西側も彼が死なない限り

自分達の利益が脅かされると考えていた。

一部の人間だけの利益の為に

暗殺された。

そして、その写真は

『C・I・A』が世界中の新聞社に、

勝利の祝いと革命家の末路のみせしめの為に

送り付けた写真だ。」

「そう、その通りじゃ。

そのファイルの次のページを開けなさい。」

マウキンウンが、

そのページを開いた。

そこには、高い建物に挟まれた広場に群集が群がり、

拳を握り締めて片手を振りかざしている

二十センチ四方のパノラマ写真があった。

「去年一九六八年十月の

中南米の『パナマ』で、

将校による軍事クーデターがあったが、

その後、十一月、

民衆や学生が軍事政権に反対し、

民衆のための改革デモの時の写真じゃ。

その群集の一番前の真ん中にいる男を

見てもらいたい。」

三人は、言われた辺りの人物を見た。

が、かなりの望遠を使用していたのか、

粒子が荒く、よく分からなかった。

「次のページを……」

マウキンウンは言われるままに、

また次のページを開けた。

そこには先ほどの群集の拡大された写真が

貼ってあった。

その先頭には、

髭もじゃの精悍(せいかん)な顔だちの男が写っていた。

「ゲバラだ!

『ゲバラは生きている。』」

ダニーが言った。

「そう、チェ・ゲバラは生きていたのじゃ。

『C・I・A』が発表した写真は、

替え玉ということになる。

二ヵ月前のその写真が証明している。

『パナマ』の指揮をとっているのは、

紛れもなくチェ・ゲバラじゃ!

……ところが、この直後

パナマ軍が指導者を逮捕していき虐殺している。

そしてまたもチェ・ゲバラが

『行方不明』になった。

……どうじゃ、引き受けるか、

この仕事を……。

『光子の名誉回復』は、

あんた達のこれからの行動にかかっておる。」

「やりましょう。

『ゲバラ』に会ってみたい。」

ダニーの言葉に他の二人も同調した。

「よろしい、契約しょう。

……あんた達のパスポートや活動資金など

細かいことはワシの部下から聞くがいい。

……良い知らせを待っておるぞ。」

マオはそう言って藤椅子の肘掛けを握り、

入って来た兵士に

三人を送って行くように命じた。

三人は

マオに別れの挨拶をして出て言った。



マオが、後に残ったマウキンウンに言った。

「マウキンウンよ。

ワシが眠っとる間に何を話した?

……まあいいじゃろ。

『おしゃべりマウキンウン』のことじゃ、

あることないことを話したのじゃろ。

『スベトラナ・光子』はお前に任せる。

お前は彼女から

ロシア語と日本語を学べ。

ちょうどそんな家庭教師を捜しておったのじゃ。

そうすれば、

お前は英・仏・独・スペイン・アラビア以外に

露国語・日本語そして中国語の

八ケ国語が話せるようになる。

『これからの中国には、

世界中の人間が友好関係を結ぼうとやってくる。』

中国には世界中の五分の一の人間がおる。

『金のあるところに金が集まるように、

人間のいるところに人間が集まる』のじゃ。

その五分の一の人間をワシは

指一本で動かしておる。

チェスの駒を動かすようにじゃ。

世界中の権力者がワシに会いに来よるわ!

ワシを無視するわけにはいかんのじゃ。

 お前は今日のワシの通訳をよくやったぞ。

これからはいつもワシの側におるのじゃ。

どんな場所でも一緒じゃ。

もしワシが死んだとて、

お前は一人で生きていける、

語学がそれほど堪能になればな!……

それにしても、奴等は若いのう。

光子の父親は、

ワシの「息子」の命を救ってくれていた。

中国人は、

『一度恩義を受けると一生忘れぬ。』。

初めから光子の名誉回復は考えておった。

ワシの部下を危険にさらさずに、

チェ・ゲバラの消息を知ることができるとはなぁ……

この仕事が

どれほど危険で苦難に満ちたものか知らずに、

引き受けおった。

ワシは一パーセントの望みを持って待つとしょう。

ワシの今の政治は、

すべて己れの手をよごさず、

すべてを己れの思い通りにすることじゃ。

すなわち

『漁夫の利』のごとくにじゃ!」



  マオは、ポーリーティーを飲み干した。

そして、

『マウキンウン』のピンクの中国服の

胸元のボタンをはずし、

膨らみに手を差し入れながら、

高らかに笑った。



『第十二章  ハッカの呟(つぶや)き』に続く



このWebサイトについてのご意見、ご感想、メッセージは、

でお送りください。


 

第一章   白夜のささやき

        (公開中)


第二章   カットグラスの輝き

        (公開中)

第三章   裁き

        (公開中)

第四章   轟(とどろ)き・・・

(ダニーの話)

        (公開中)

第五章   ラーゲルの吹雪(ふぶき)

        (公開中)

第六章   殺人の痕跡・・・

(ドクター荻野の話)

        (公開中)

第七章   「アッシュ」の手引き・・・

(ビルの話)

        (公開中)

第八章   偽装の閃(ひらめ)き

        (公開中)

第九章 ダイヤモンドダストの瞬(またた)き

        (公開中)

第十章   若き紅衛兵の嘆き

        (公開中)

第十一章  マオ・ジュウシの駆けひき・・・

(五人めの妻の話)

        (公開中)

第十二章 ハッカ(旅する人)の呟(つぶや)き

        (公開中)

第十三章  飛べ!低く飛べ!

(チェ・ゲバラの話)

        (公開中)

第十四章  リビアンスター

(リビアの星)

        (公開中)

北京

見出しページ



「小説」の見出しページ



トップページ