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「マルタン丸山」のホーム・ページです。





「新 マルタン丸山 HP 」

マキバブラシの花とコアラの好きなユーカリの木
左は、ワシントン・ヤシの木

マルタン丸山(丸山洋續)

(短編小説)  シドニー・サッショグ

 

     

  (日豪文化交流10周年記念会)



 シドニー・タウンホールの会場に、司会者の第一声が響き渡った。

「皆様、大変長らくお待たせ致しました。只今より、『すずらん高等学校』、オーストラリア・シドニー語学研修十周年記念、日豪文化交流会を開催致します。」

   通訳のミチコが、被せるように、英語で同時通訳をする。ヘッドホン・インカムを付けた旅行社の西さんは、予定時間より十分遅れだが取り戻せる、そんな目で会場の方を見つめている。司会者はそれを確認して、またマイクに歩み寄った。

「それでは、開会に先立ちまして、すずらん高等学校理事長代行、並びに校長より、ご挨拶致します。」

 代行・校長それにシドニーの各学校の代表三名が、今回の行事のために作られた青色の「法被(ハッピ)」を全員が着て、司会者の側を通り、舞台の中央に進み出た。

「揃いの法被はすてきね……。」

 通訳のミチコが、司会者の耳元で言った。

ミチコは十数年前、日本の大学の英文科を卒業後「日本語教員」の免許を修得してオーストラリアにやってきた。その当時、ちょうどオーストラリアは日本語ブームで、通時のビザで何校かの講師をしていたが、その時、知り合ったオーストラリア人の商社マンと結婚した。その夫との間に二人の子供ができ、今は育児から手が離れて、「日豪文化交流会」の仕事や留学生の世話をするようになった。

「ライトにあたると、より綺麗だ」

 司会者は、この法被の制作に、三ヶ月費やしたことは言わなかった。

 値段の交渉からデザインを何度も打ち合わせし、また何人ものアドバイスをもらい、アンケートも取り、校長とも言い合いになって出来上がってきた法被だ。

 司会者は、舞台の校長を見た。各校代表の方々を案内している。彼がこの行事の成功を一番願っているだろう。一年前のシドニー語学研修の時、彼は決心していた。来年は必ず十周年行事をこのシドニーでやろうと。

 代行も、いつの時か言ったことがある。

「何もやらないのは楽だ。しかし前進はしない。何かをやることは大変だが、前進する。」と。

 この一年、校長の頭の中から「シドニー語学研修十周年記念行事」が離れなかった。

 舞台にもう一人、ブロンドの大きな女性がいる。司会者は西さんの方に合図して、ミチコが通訳している時に、西さんに近付いた。

「飛び入りのオーストラリアン大学のバレリー先生だ。代行にプレゼントがあるらしい。」

「分かった、ロレット校長の後に入れる。」

 司会者は、ボールペンを台本の上に走らせた。進行係にとって、直前の変更が一番厄介だ。しかも、今回は通訳が必要だからなおさらだ。舞台のマイクでは、代行の挨拶が続いている。

「……日本には『継続は力なり』という言葉がありますが~、各校の関係がこれからも長く続いていくことを望み……。」

 放送関係出身の代行は、さすがに話術には定評があり、いつものように、右に状態を傾けて二分程度で挨拶した。ミチコの通訳が入り、司会者があとを続けた。

「続きまして、ロレット、……ベネディクト、……ステラ、以上三校より、代表の先生にお越し頂いております……」

ミチコの通訳が入る。ミチコと司会者は息があってるね、西さんは満足げに目を細めた。

「研修校を代表致しまして、ロレット校長リーニーさんより、ご挨拶を頂きます。」

 ミチコの通訳の後、法被の前を綺麗に揃えた、ダゲンさんが挨拶を始めた。金髪の髪に巻かれた手拭の鉢巻きが、よく似合っていた。

「……今朝、ロレット校とすずらん高校は、姉妹校の仮調印を行ない……。」

 ゆっくりした英国調の綺麗な英語で、左右の代行と副校長にお礼を述べた。

 西さんの合図で各校代表の生徒達から花束が全員に手渡された。代行が花束を高く上げた。拍手が沸き起こる。各校の代表も手を挙げて応えた。

 司会者がその拍手に被せて言った。

「続きまして、研修会でお世話になっております、オーストラリアンカソリック大学バレリーさんが、お越しになつておられます。代行にプレゼントがあるそうです。」

 ミチコの通訳が続く。突然の来訪だが、なんとか言えた。司会者がほっとしている様子を、西さんは感じた。バレりー教授は、簡単な挨拶をして四角の箱を代行に手渡した。代行は箱を開け、ボトルを両手で掲げた。オーストラリア名産のウィスキーだろうか。また、拍手が沸き起こった。

「それではこれより日豪文化交流会の演目に移らせて頂きます。……一番目は竹さんによる、『日本舞踊』です……。」

ミチコの通訳の後、会場が暗転になり、スポットライトが中央の金屏風にあたる。

 この金屏風がシドニーにあったとは、信じられないことだ。「日豪文化交流会」の世話係田中さんが、日系人の家庭を走り回って借りて来たのだ。日系の中でも大成功した家庭だ。

 その金屏風の真ん中に、舞踊家竹さんが、両手に扇子を持って琴の音に合わせて舞う。和かな琴の音が、会場を包んだ。

 会場の前方には、子供達が床に腰掛けて舞台を見詰めていた。

 西さんが司会者に、うまくいってることを述べて、照明係に英語で指示する。

 ふと、司会者は西さんの横顔を見た。彼の顔には、この行事を絶対成功させる気力が読み取れた。

 彼は一年前から中さんと、シドニーのど真ん中の、しかも百年以上も立っている由緒ある「シティー・ホール」を借りるために走り回ってきた。借用費はそれほどでもないが、オーストラリア人優先で、外国人が使用するなど、今までに考えられなかったことだ。シドニー市庁舎や日豪文化交流会に何度も足を運び、ようやく許可が下りたのが、今年の一月だった。

 しかも、会場を使用する細かな条件が、山ほどあった。その一つ一つをなんとかクリアーしてきた。

日本舞踊の二曲めが始まる。五メートルは優にある布をそれぞれ両手に持ち、川の流れのように上下に振り回される。観客からどよめきが起こる。

 彼女は、今回の参加者の中で一番最後に決まった人だ。すずらん校の卒業生関係で日本舞踊をし、この日に参加してもらえる人は、そうざらにはいない。一時は、日本舞踊はなしにしよう、とまで話し合った。それが、気持ちよく引き受けてくれたのが彼女だ。その彼女の桜模様の着物が蛇の目傘から表われ、しなやかに最後の舞いが浮かびあがる。

あっという間に日本舞踊が終わり、会場が明かるくなる。拍手が沸き起こった。舞台中央に赤い毛氈を巻いた縁台が運ばれてくる。

「引き続きまして、奥さんご姉妹による『琵琶演奏』です。」

 ミチコの通訳が終わると、また暗転になり、スポットライトが、正座した二人の赤色と水色に輝くステージ衣装を浮き立たせた。

「……ころは~二月の~十~八~日……。」

 二つの琵琶の太い弦の音が一つになって響き、「平家物語」を語り出した。招待者には、前日英語の説明文は渡されていたが、スタッフにとって内心、シドニーの人に理解されるかどうか心配だった。

「西さん、シドニーの人は静かに聞いているね。子供達もあんなに首を長くして……。」

会場は水を打ったように、琵琶の音と語りに聞き入っている。最初は弱く、徐々に激しく強く、琵琶の音は鳴り響く。二人の掛け合いの声が、ますます脳に刺激を与え魅了し、釘付けにする。不思議だ、琵琶の音には、どこの国の、どんな異文化の、全く生活習慣の異なる人種でも、引きつける哀愁があるのだ。

 十五分の演奏は、あっという間に過ぎ、会場に拍手喝采が沸き起こった。奥さん姉妹の母親が琵琶の継承者で、各国の都市で独演会を開いている。姉妹の姉の方はシドニーで二回めの公演になり、妹は、今年すずらん高校を卒業したばかりだ。二人とも、やはり今回の参加を気持ちよく引き受けてくれた。

さあ、次は各ブースの紹介だ、西さんが各ブースを確認する。

 あれ?困ったなあ……、一番ブースの上に子供達が座って遊んでる……。

 司会者が茶道係の生徒に連絡する。茶道の先生が子供達に何か話している。子供達が毛氈の台から降りだした。桃色模様の着物を着た茶道家が、急いで正座する。

 膝元の濯(すす)いで湯を入れる建水(けんすい)は、実は花瓶のまわりに茶色の色紙をテープで貼ったものだ。日本から送った「建水」は、今朝段ボールを開けたとき、粉々に割れていた。アシスタントのヒーさんが、シドニーホールの前にあるスーパーマーケットに調達しに行き、ようやく同じような形のを見付けてきたが、白の花瓶だった。シドニーに茶道に必要な器など、あるはずがない。しかしまさか、白の花瓶を置くわけにいかない。ヒーさんのアイデアで、茶色の色紙が貼られてそれらしく作られた。

「ここで、会場内の各ブースをご紹介させて頂きます。」

 司会者の声と共に、暗転になる。

「……ブース一番……『茶道』!」

 幡先生にスポットライトがあたり、深く頭を下げる。幡さんは、関西でも有数の名取で、今回茶道の神髄を披露する予定だったが、シドニーに持ち込める品物の制約が多く、また「お饅頭」や「菓子」類もすべて持ち込み禁止、「わさんぼん」の菓子は持ち込んだが、しかし、会場のブースを茶室のようにセットすることもできず、辛い想いでシドニーにやってきた。が、ただただ、シドニーの人々に日本の茶道の「お茶」を味わってもらおうと思い参加された。

「……ブース二番……『華道』!」

 華道家の中先生にスポットがあたった。中先生も「持ち込み禁止」の条例で苦労された。

 オーストラリアには、食べ物・動物・植物は持ち込みがすべて禁止である。もし持ち込むなら、何ヶ月も前からオーストラリア大使館を通して、「動植物検査」の審査を受けなければならない。その審査は、並のものではなく、写真と共に英語であらゆる角度から害のないことや、使用方法を明記しなければならない。もしその審査で許可されたとしても、シドニーの税関でストップされれば、数日は検査の為に取り上げられる。

 中先生は前日、シドニーの花屋さんをくまなく周り、また花の「卸売り」市場まで出かけて、日本の生け花に合う花をなんとか調達して来た。

 そのブースには、もう金髪のお嬢さん方が正座して生け花を始めている。

「……ブース三番……『着付け』!」

 講師の金山さんと神銅さんが、着物姿で頭を下げた。その前にはやはり、金髪のお嬢さんが振り袖をかけてもらつて立っていた。その振り袖は、O女子短期大学の服飾家今之井教授より借用した、四着の一着である。その教授の助力がなければ、このブースは開けられなかったかもしれない。しかも、着付け講師の二人も今之井教授の紹介である。二人とも典型的な日本美人で、着物が特に似合っていた。

「……ブース四番……『書道』!」

 書道家下場先生が、漢字と英語が書かれた色紙や団扇(うちわ)を貼った掲示板の前で、頭を下げた。

 その前の机の上には、筆ペンが何本も置かれてあった。来客者には全員団扇が渡されてある。表には「シドニー十周年記念」と学校名・オーストラリアと日本の地図が印刷されてあり、裏は真っ白な和紙である。その和紙には筆ペンで漢字を書いてもらう予定である。

 四ヶ月前から、この団扇の製作に取り掛かり、一週間前にようやく出来上がってきた。四国の丸亀市の久保団扇製造会社に四五○枚を注文し、シドニーに持ってきていた。

下場先生はこの一週間、見本の漢字や英語を何枚も書いて、今朝から貼り付けていた。

会場全体が明かるくなり、人々が各ブースの方に移動し始めた。司会者が続けて言った。

「会場中央に、お食事とお飲み物を用意しております……。」

 円テーブルの上に、空揚げやサラダなどと、飲み物が置かれてある。

「……皆様、しばらくの間、お食事をしながら、それぞれのブースにて、日本の文化に触れてみてください。……後ほどステージの上で、日本のゲームのご紹介をいたします。どうぞ、その時にはご覧ください」

 西さんは、オーストラリア人の舞台係に、金屏風を片付けるように指示した。

 司会者は、先ほどの琵琶演奏家が使っていた毛氈の台の上に、日本から持って来たオモチャ類を並べだした。日本の真夏の三十五度以上の炎天かの中で松屋町や梅田の「LOFT」で探し求めたものだ。

 剣玉・ヨーヨー・ドドドンダイコ・独楽(こま)・羽子板・ダルマ落とし・めんこ・福笑い・神風船・ビー玉・おはじき・おてだま・折り紙など、十数種類の懐かしい日本のオモチャを、それぞれ十セット以上を置いていった。係の生徒達も手伝い出した。


 考えてみれば、現在、日本の子供は、ほとんどがテレビ・ゲームで遊び、これらのものさえ知らないでいる。しかし、西さんと司会者の頭には、シドニーの子供達は喜んで熱中してくれるだろう、と期待していた。これらはすべて単純な遊びで、すぐにできてしまう、しかし、単純の中にも上手にやるにはコツがいる。そのコツをつかむために継続してやってしまう。だからこそまた楽しい。



司会者がマイクの前に立った。

「ステージの上に、日本のオモチャを用意しました……。」

 通訳のミチコが、順番にオモチャを紹介し始めた。シドニーの子供達が舞台に上がりだした。係の生徒達が、遊び方を英語と動作で説明する。それぞれ赤い台の上からオモチャを取り出して遊びだした。

 舞台の奥は五・六段の壇になってあるが、そこにそれぞれがそれぞれの遊びをはじめた。

 羽子板を打ち上げる女の子、こまを回す男の子、三十センチの大きさの紙風船を膨らませ打ち上げる生徒とホームステーの家族達、ドラエモンの大きな剣玉を上手に使う男子高校生……。

「丸さん、見てご覧よ……。」

 西さんが司会者に話しかけた。

「……みんな楽しそうだよ。すごいなー。大成功だよ。」

「素晴らしいね、みんな、本当に、楽しんでるよ。」

「これ写真に撮りたいね、写真館の小谷さん、撮ってくれてるかなあ……。」

「……次のマイクまで十五分ほどあるから、ちょっと会場を回ってくるよ。」

「ああ、いいよ、時々こっちを見てね、何かあったら合図するから……。」

「……。」

 司会者の丸さんは、親指を上に上げ、了解の動作をして舞台から降りて行った。



 丸さんは、舞台の脇の狭い通路を通って会場に出た。写真館の小谷さんを意識して探した。

 舞台のすぐ横に代行・校長・ロレット校長その他各校の代表が、文化交流会の若い通訳を通して語り合っていた。

 その横を通って行くと、浴衣姿の生徒がいた。

 「上手に着たね、自分で着たの?」

 と、丸さんが声を掛けると、

 「踊りの先生に着せてもらった。」

 と、いう。すると楽屋では、日本舞踊の竹先生が、生徒達の浴衣の世話係をしてくれていたのだ。今度シドニーに来る前に、「浴衣の着付け講習会」をやればいいな、自分で上手に着られるようになる。

 丸さんは、そんなことを考えながら茶道のブースを覗いてみた。

 香港系オーストラリア人の高校生が、茶道の御点前(おてまえ)の作法を、幡先生から教わっている。つい立の仕切の奥から茶道部や係の生徒が、お茶碗を両手で持って、ブースの周りの囲んでいるファミリーの人々に配っている。

 お茶碗を手渡し軽く一礼をすると、ファミリーの婦人も同じ一礼をして口にはこぶ。高い鼻がお茶碗につかえそうだ。ちょっと苦そうな顔をして隣の主人に手渡す。大きな身体の主人には、小さな湯飲みのように見えるお茶碗を口にはこぶ。一口のみ、感嘆の声を出しもう一口飲む。今度は隣の中学生位の娘に手渡し、親指を立てウインクをする。娘はにっこり笑みを浮べ茶碗を口にはこぶ。ちょっと飲んで、顔と口を歪めて、父親に戻す。それを見ていた周りの大人達が笑い出す。婦人が再挑戦する。今度はまあまあな顔。夫が最後を飲む。

 次に運ばれたお茶碗が、隣のファミリーに手渡される。「ワサンボン」のお菓子が好まれるらしく、すぐになくなってしまったらしい。

「先生、飲む?」

 突然、係の生徒が丸さんに話しかける。

「今、いいよ。仕事中だから……。」

 笑いながら次のブースに移る。

 「書道」のブースだ。

 このブースは黒山の人だかり、いや金髪の人たちだから「金山の人だかり」だ。子供も大人も老若男女が筆ペンを持って、自分の団扇や色紙に漢字や片仮名平仮名を書いている。

 「寿」の文字を何度も前の手本を見ながら、形を真似ている。出来上った「和」の字の団扇を掲げて記念写真を撮ってもらっている。実に楽しそうだ。「自分で行動する」その楽しさを味わっている。下場先生が汗だくで説明している。

 その横のテーブルには、ダンスのはつえ先生と英語のクリチャンが、色紙の文字の事で話し合っている。

 係の生徒が丸さんを見て言った。

「先生、色紙がもうなくなってしまった、団扇(うちは)が欲しいんだけど……。」

「分った、一緒に受付けの所に貰いに行こう。」

 人込みの間を抜けて、ホール入口の方に進む。やっと受付に辿り着く。ヤモさんとタク先生が、受付で頑張ってくれてる。

「ヤモちゃん、団扇余ってる?」

「もう、ほとんど渡してしまった。お客さんは三百三名で、すずらん高校の関係が百名、旅行社・文化交流会関係のスタッフが十五名、シティー・ホール関係に……。」

 ヤモさんは、きっちりした数字を述べて言った。

「分った、すごく沢山来てくれたんだね。すごいね。」

「丸先生、法被がもうないんです。」

 タク先生が、低い真面目な声で丸さんに言った。 「皆さん、法被が欲しくて、何度もここに来られるんですが、ファミリーに一つ、となっているので、……私たちのもお渡しし……。」

 それはそうだね、みんな法被を着てみたいんだよな。

 「三百着で十分余ると思ってたけど、少なかったんだ。ファミリーの方は本当に沢山来てくれたね……」

 丸さんは、書道の係の生徒を見た。生徒は書道のブースに戻って行った。

「もう受付けも、終りにします」

 タク先生とヤモさんが片付けだした。

 丸さんは、また会場に戻った。

 この広いシティー・ホールは、人の熱気で燃えていた。

 その時、頭の上でフラッシュが光った。見上げると、二階から写真館の小谷さんが舞台の方にカメラを向けて撮影していた。シドニーは二度目である。ただし、一度目は新婚旅行で来たので、仕事では初めてになるが、腕は日本でも有名である。

 その横には、会計係の池先生がビデオカメラを舞台に向けて、子供達の玩具で遊んでいるところを撮影していた。この係も大変だ。カメラをまわしながら、四時間の長丁場である。が、ビデオはベテランで、これまでに海外数十カ所を撮影して回っている。

 丸さんは、気持ちを高ぶらせながら、右のブースに近付いて行った。

 「着付け」のブースは、順番待ちの女性がずらっと並んでいる。これまた、すごい人気だ。本格的に着物を着て、ポラロイドで撮影し、その場で自分の着物姿の写真が貰える。高さ五十センチ、三メートル四方の台の上に金山さんがクリーム色の髪をした高校生に赤い振袖を着せている。神綱さんは小さな女の子に花模様の着物を着せている。その横では日本舞踊の竹先生が、英語で会話しながら、やや年輩の肥満の女性に水色の着物を着せている。

 食生活のせいか、オーストラリアの中年以上の人は、男女共々多くが肥満になっている。食事量が日本人の倍はあるし,その後に必ずケーキ類を食べるが、それが影響しているのかもしれない。昨日アイスクリームを食べたが、スモールと注文したが、日本の三倍はあった。竹先生と幡先生が普通のを頼んだが、五倍は優に越える大きさだった。

 竹先生は、本格的な英国調の流暢な英語で話しかけながら着せている。金綱さんと神山さんの着付けが出来上り、二人の着物姿のクリーム女性が斜めに構えてポーズを取り、アシスタントのヒーさんがポラロイドで撮影する。二人は本当に嬉しそうにしている。父親らしき男性が横から写真を撮す。それが終ると台の後ろで生徒達がその着物の帯をはずしている。みんな汗だくである。次の高校生位の金髪の女の子は、漸く自分の番が来て嬉しさの余り台の上へ飛跳ねるように上がってきた。顔はスマイルが溢れんばかりであった。丸さんの横の高校生の女の子は、自分のポラロイドのフイルムを家族に見せながら恥ずかしそうに顔を赤らめている。みんな大喜びだ。

 ヒーさんが突然玄関の方に走り出した。側にいた生徒に聞いてみると、ポラロイドのフイルムがもうなくなり、前のスーパーに買いに行ったそうだ。三十枚持ってきただけだったから、これだけの人が並べば後同じ位の数がいる。茶道の懸垂といい、ポラロイドフイルムといい、ヒーさんは頑張ってる、と丸さんは思いながら次のブースに移る。

 テーブルの上に、いくつもの生花が並べられている。

 一つは、日本ではあまり見かけない、大きな花がテーブルいっぱい広がり、薔薇とカラーとが一緒に使われ、それがまた新しい華道の世界を醸している。次のはユーカリの枝・葉とカーネーションとキクが「天地仁」に立てられて日本の生花になっている。苦労の後がある。オーストラリアは花は生けるが、枝や葉っぱは生けない。そこに中先生の苦心がある。次がヘリコニアだけで扇の形の鮮やかに飾られたもの。人集りの中を覗くと、エンゼルヘアーと赤いアンスリューと黄色のガーベラ、そしてユリとイリスで、花火をイメージした日本本来の「生花」を前に、中先生が、懸垂に突刺す角度を英語で説明していた。ここも順番待ちだ。花の茎が短くなっている。次から次と切っては生け、いけては切るのだからしかたがない。でもみんな靴を脱ぎ、半分正座をしながら上品な顔つきをして生けている。



 丸さんはそのまま興奮状態で、舞台の西さんとミチコの所へ戻った。

舞台の横に戻ると、いつも優しいダンスのはつえ先生が、ジュースを差入れしてくれていた。それを飲んだ西さんが、丸さんの顔を見ながら言った。

 「さあ、次はいよいよ丸さんのジャンケン大会だ」

「O・K!」

 丸さんは、ピアノの横に置いてあった段ボール箱と紙袋を担いで、会場に戻り、舞台の真ん前のテーブルに、中の物を置きだした。そこには、日本から持ってきた、景品のボールペン・ブローチ・ペンマーカー・ネクタイピン・ゲーム器、そしてシドニーで買ったコアラ・カンガルーのぬいぐるみなど、百個以上がある。着物を着すずらん光高校の国際文化のカト先生と国際文化交流の田中さんが並べだす。

 丸さんは舞台に戻りピアノの下の紙袋から、日本から持ってきた衣装を取り出した。上着を脱いでネクタイをはずし、大きな水色の蝶ネクタイを襟に付け、次に金ぴかのタキシードを着た。そして茶色のカーボーイハットを被った。西さんが口笛を吹いて喜んだ。

 「いいね!似合うよ、丸さん!……そうだ、名前がいるね、芸名がいる。丸さんはフランス的だから、オーストラリアのこっちの人が好きそうな名前がないかな……」

 その間にミチコが、舞台の上の生徒や子供たちに、次の出し物があるので会場に廻るように指示をしていた。

「オーストラリア人の好きな名前ね……?」

 丸さんには検討がつかなかった。

 「……うーん、シドニー・丸さん……、コアラ・丸さん……、カンガルー・丸さん……、だめだこりゃー出てこない」

「そうだ……」

 天井を見上げながら考えていた西さんが、何か閃いたように叫んで、口元に伸びているヘッドホン・インカムに英語で話し出した。丸さんは、耳を澄ましてその英語を日本語に翻訳し始めた。インカムの相手は、会場二階の後ろにいる照明係のシドニー人だ。オーストラリア人に多い名前を聞いている。……ちょっと間があって……、今度は彼の名前を聞いているらしい。

 舞台では、ミチコと係の生徒が日本の玩具を舞台前のカト先生と田中さんに渡し、景品と一緒に並べられている。赤い毛氈の台は右奥に仕まわれた。

「……いいね、アイルユース、ユアネーム?イズント、オーライ?」

 西さんがにこにこしながら、インカムから丸さんに日本語で言った。

「照明さんの名前を貰ったよ。チャーリー!いい名前だ。チャーリー・丸さん!どう、いい名前でしょう!」

「チャーリー・丸さん……、いい名前だ。気に入った。これで行こう!」

  丸さんは、蝶ネクタイに手を掛けながら、二三度その名をつぶやきながら、チャーリーに成りきろうとした。西さんがマイクの前に立った。

「皆様、今日のこの行事のお祝いに、『世界ジャンケン大会』のチャンピオンが、駆けつけてくれました。

 ご紹介します、全世界ジャンケン大会チャンピオン、チャーリー・丸さんです!」

 ミチコが西さんと同じように一段と声を張上げて通訳した。チャーリー・丸さんはピアノの横から、大きく手を振りながら舞台中央に歩いて行った。

 前の方に子どもたちが寄ってきた。

「シドニーの皆さん、こんにちは、私がジャンケン大会のチャンピオンです……」

   ミチコが同じような声高で通訳する。

「私にジャンケンで勝っていけば、プレゼントがいっぱいあります……。」

 ミチコがジャンケンの説明をする。オーストラリアには一応ジャンケンはあるが、ほとんどの人はしない。コインの裏表で順番や勝ち負けを決める。まず、チャーリーは「グー・チョキ・パー」を指で示し、練習しだす。前の子供達が腕を上に上げて真似る。

「このジャンケンは初めはみんな、『グー』から始める、さあ、大きな声で、『最初は、グー!!ジャンケン、ホイ!』」

 丸さんの声に被せて、ミチコが通訳していく。

  「さあ、もう一度、『最初は、グー!ジャンケン、ホイ !』」

 二三度繰り返し、いよいよ本番である。会場のお客さんの目が、舞台のチャーリーの右手にそそがれる。

「じゃ、本番だよ!!最初はグー、ジャンケン・ホイ」

 チャーリーの手は、大きく開いた「パー」が出された。ミチコが「チーの人が勝ち」であることを告げる。Vサインのチーを出しながら英語で言った。

 「前に出てきてください。」

ちょっと待てよ、大変だ。景品の前には子どもたちでいっぱいだ。

「チーの人だけ前ですよ」

 混乱しているな。仕方ない。チャーリーが叫んだ。

「チーのひとだけ、2回戦をやります。……最初はグー、ジャンケン・ホイ!!」

 またチャーリーは「パー」を出した。二回「チー」を出す人は少ないと思いきや、まだ、二、三十人いる。もう、いいや、プレゼントしてしまえ!

「それでは、今勝ったチーの人は景品を持っていってください。」

 ミチコの通訳の後、景品の場所は大混乱になる。カト先生と田中さんが手分けしながら渡している。

 チャーリーの頭に、ふと閃いたことがある。

「第二回のジャンケン大会です、今度勝った人は、舞台に上がってもらいます。じゃー、いくよ、最初はグー、……」

 チャーリーは、頭の中で次に何を出すかを考えている。さっきはパー・その前もパーと二回だから………。

「……ジャンケン・ホイ!!」

 チャーリーの右手は「グー」が出されていた。かわいそうに、多くの人が、今度もチャーリーが「パー」を出すと思って「チー」を出している。チャーリーはすかさず、「パー」の人を指さしていき、「O・K」を連発していった。舞台に上がったのは三十名前後だった。

 「二回戦、ハンド・アップ!」と叫ぶ。全員が腕を上げたのを確かめて、叫んだ。

「大きな声で、ゆっくりと、最初はだよ、いいね、サイショハ、グー、ジャンケン、ホイ!」

 子どもたちの大合唱になり、右の握り拳が前後に振られた。そうだ、何を出そう、パー、パーときて、グーにしたから……時間がない、そうだ、これでいけ。

 チャーリーはそのまま「グー」を出した。子供の喜びの歓声と悲しみ驚嘆の声。

 チャーリーは一人一人の腕に「O・K」か「OUT」かを示す。残った子供は十人ほどだった。一人一人の名前を聞いていった。

 が、名前よりもびっくりすることがあった。それは髪の色である。ブロンドの子、ブルーネット(ブラウン)の子、レッドの男の子、グレーの子、おや、ソートアンドペパーの女の子、プラチームの子……すごいね、いろんな髪がそこにはある。

 目だってそうだ。ブルー・グレー・ブラウン・グリーンだ。すごいね、日本人の多くが黒の目にくらべ、十人ほどでも、こんなに異なる。一人一人個性を持っている。チャーリーは一人一人の名前を褒めたたえた。子どもたちは、舞台から降り、景品を選び出した。

 西さんから合図があり、次の出し物に切替える。

「それではみなさん、次はいよいよ、ラッキー・ナンバーのお時間です」

 チャーリーはラッキーナンバーの用紙を、ポケットから取出し、上にあげた。

 舞台を見ていた人びとが、ポケットからナンバー・カードを取出す。それを確認しながらチャーリーは、ポケットの番号札を探した。

 右のポケットに百番まで、左に二百番まで、ズボンポケットの右に三百番まで……それを確かめカーボーイハットをぬいで中に入れた。そして、左のポケットから四百番までのカードを出し、上から四枚だけ取って後はまたポケットにしまった。

 お客さんは全部で三百四名と、さっきヤモさんが言っていたのを思い出していた。文化交流会のブリーチカラーの女性がカーボーイハットを持ちにきてくれ、番号札を一枚一枚取出して読み出した。景品はまだまだある。

 舞台で「ラッキー・ナンバー」が読みあげられだしたころ、「着付け」コーナーでは三人の先生が悪戦苦闘していた。

 着物を着せてポラロイド写真を撮り、その後は着物を脱がせて次の人に着せていくのだが、ポラロイドのフイルムがなくなって買いに行っている。

 その間、順番待ちの人には説明し、着物を着ている人には、紙風船を渡して遊んでもらっているのだ。ブロンドの髪の小さな女の子がちょっと内股にして膝を曲げポーズをとって家族に写真を撮ってもらっている。それがまた、日本的な雰囲気で、周りから「かわいい」の連発である。

 その時、スーパーに買出しに行った、アシスタントのヒーさんが走って帰ってきた。フイルムにもいろんな種類があり、三軒目のスーパーでやっと見つけて戻って来たのだ。冬のシドニーなのに、汗をいっぱいかいている。さっそくさっきのブロンドの女の子の写真を撮り、「着付け」のブースも軌道に乗出した。

「華道」ブースが、また大変だ。いけてもらう花の茎がほとんど切ってしまい、なくなってきたのだ。中出先生は、ブースから降りて展示してあるヘリコニアとカーネーションと菊を運んできた。またまたブロンドの女性が靴を脱ぎ、台に正座する。

 欧米では、靴は自分の部屋のベットで眠る時だけ脱ぐ習慣であって、陸続きの国は、いつ何が起るか知れない環境がそういう習慣をつけさせたのだろうが、このブースでは、その習慣を忘れさせ、日本的なムードに浸ろうとする雰囲気が出来ていた。一人の婦人が、仕切に花を刺す「七宝(水ひき)」に興味を持ち、中先生に質問している。

 「どこに行けば買えるか」

 まで、尋ねている。中先生は、先ほどの展示品の所から何個か持ってきて、プレゼントする。ご婦人方は、上機嫌で先生にお礼をいい、生花に熱中しだした。

 書道のブースもまた、大変な様子だった。ファミリーの人々が自分の名前を、漢字か片仮名か平仮名で書き始めたのだ。これは、前に張ってある見本では役に立たない。一人一人の名前を書いてもらい、それを日本の文字に書き換え、それを筆で自分が書くのだから時間がかかる。

 下場先生も係の生徒も、ますます汗だくである。中には

 「筆ペンが欲しい」

 と申出る人も出て、

 「この催しが終ればプレゼントする」

 と言うと、ずっとそのブースから離れないでいた。

 「筆」に対する興味は、日本の「文字」に対する興味となり、「日本文化」に対する興味へと繋がる。だから混雑は喜ばしい限りである。

 会場の真ん中では、鮮やかな衣装を付けた例の琵琶の奥さん姉妹が、また汗だくになっている。次から次と記念撮影の人たちが並び、握手をし、英語で質問され、「ハイ・ポーズ」を繰り返すのである。「琵琶」の楽器とその衣装に対するオーストラリア人の関心は、人ごとではない。日本では、ほとんどの人が無関心であり、聞きに行くことさえしない有様で、琵琶そのものを知らずにいる。日本の文化は、外国から見直されなければ、復活しないようだ。しかし、若い奥さん姉妹によってこれから、世界中に広められるだろう。

 「茶道」のブースが、一風変ったムードになっていた。アジア系、インド系、マレー系、インドネシア系、中東系の人々がお点前の順番待ちをしているのだ。イギリスの「ティー」とは、全く異なった作法に興味があるのか、それとも、それぞれの国の「ティー」の作法との比較なのか興味ある現象である。

 ヤモさんが、そんな様子を次々にカメラに納めている。

 来年ヤモさんは、自分のクラスの四十四名の生徒を連れてこのシドニーに来る。インターネットで交流の輪が広がり、外国人という意識ではない、本当の友人としての繋がりを望んでいる。

 タクさんが、お世話になった学校関係の人と英語で話し合っている。

 先生同士の交換交流に来ないか、と誘われているのだ。二週間の間、タクさんは学校中を周り、授業の方法や、指導の仕方や、学校のシステムや先生方の環境等を調べた。



 オーストラリアでは、「教師」は「ビジネス」として定着している。二・三年契約で、自分を認め、より高いペイを出してくれる所に移る。そのためには、絶えず研究し論文を書き、教育に熱中している。校長でさえ自分の論文と履歴書とを持ってまわる。日本のような終身雇用とは、全く異なる。イギリスやアメリカと同じだ。

 もちろん、学校そのものも順位が決っており、その学校から国家試験の上位に何人入ったかでその順位が毎年変る。

 生徒も同じ事で、十二年生(日本の高校三年生)で三度の国家試験を受ける。

 一学期(二月から五月)に一回二十パーセントの得点と、二学期(六月から九月)の二十パーセントの得点、そして三学期(十月から一月)に、いよいよ残りの六十パーセントの国家試験があり、その合計によって、彼らの進む大学が決定される。

 しかも、毎日一教科三時間の筆記試験と口答試験がそれぞれ二週間あるのだから、大変だ。大学の入学試験はない。

 タクさんのお世話になった学校は、日本語教育に力を入れており、その国家試験の日本語で、全国でも上位になることを望んでいるのである。

 クリちゃんは、自分のクラスの生徒がそれぞれの係をこなしているか、を見て回っている。

 国際文化コースに入ってくる生徒の大半は、このオーストラリア・シドニー・語学研修が一つの目標としている。入学時から英語の授業時間が十時間を越え、補習・夏期合宿等すべてが、この研修に的を絞っている。だから、この二週間神経が張りつめている。トラブルでもあれば、神経がもたない。今のところ、何の事故も病人もなく過ぎ、後一日、明日の夕方には日本に帰っている。この二週間の気持ちは、担任でないと分らないだろう。

 しかし、そんなことは顔には出さず、飄々(ひょうひょう)とした趣で会場を回っている。

 はつえ先生がジュースの後片付けをして、貴重品が置かれた部屋の見張番にまわる。子どもたちから母親のように慕われていて、思いやりや細かいところに気付くところは、さすが二児の母親である。今回二週間、子供さんのことが気になるだろうが、お首にも出さない。生徒たちは、彼女の指示で動いている。

 舞台では、「ラッキー・ナンバー」が続いている。

 西さんがチャーリーに、もう一度「ジャンケン大会」をやって舞台を変えよう、と言った。

 舞台の前の景品の係をしているカト先生に、残りの景品の個数を確認すると、十数個である。ちょっと足りないかも。代行と副校長に何か放出して貰えないか、チャーリーは交渉してみる。校長からネクタイピンと二・三の品物、代行から、他にプレゼントする予定の「風鈴」の土産物二つを供出して貰う。

 「ねえ、ミチコ!代行に『風鈴』、校長に『ネクタイピン』等出して貰ったことと、ジャンケン大会をもう一回することをいってもらえる?」

 チャーリーの言葉に、ミチコはすぐにマイクに向って通訳した。さすがだ、とチャーリーは関心した。

 母語(母国語)以外言語を習得する一番の方法は、その言語を話す人と結婚することだ。人種間・民族間の垣根がはずれ、真の「国際化」が始まる。彼女はそれを実行している。

 そんなことを考えながら、チャーリーは舞台中央に進み出た。ミチコのマイクの声で、子どもたちがどよめき立って舞台の前に集ってきた。

 「ジャンケン・大会は、これが最後です。」

 チャーリーがマイクに叫ぶ。

 「レッツゴー・サイショハ・グー・ジャンケン・ホイ!!!!!」

 今度は「パー」を出した。「チー」が勝ち。

 「ユー、アンドユー、アンド………カムヒヤー。」

 チャーリーは、順番に指を指し、舞台に上がってくるように言った。三十人はいるかな、と思いながら、みんなが上がってくるのを待っていると、突然、舞台下の景品場所の、上品な着物のカト先生から呼ばれる。

「……景品、みんななくなったわよ、丸さん。」

 下を見ると本当にテーブルの上には何もない。もちろん風鈴もネクタイピンもない。ミチコが側に来て、言った。

「私が『最後の一回で、勝った人には景品をすべてあげます』って言ったから、みんな持って行っちゃったみたい………。」

 なるほど、言葉とは、難しいものである。こちらの意図したことと、相手の意図している事とは、異なる。オーバーな言い方をすれば、世界中の紛争は、このようにちょっとした「言葉の障壁」によって起るのかもしれない。しかし、「解決策」は必ずあるはずだ。

 舞台には十数人の子どもたちが上がってきた。この場合の「解決策」は、景品を作ればいい。チャーリーは、舞台横の日本のおもちゃを置いていた台のところを見に行った。豪華な羽子板がある。しめた。これだ。

「カト先生、この羽子板、景品に使える?」

「いえ、その、あの、それは、各学校にプレゼントするもので……。」

 カト先生は慌てふためいた。そうだ、そうだ、そのことは以前に聞いていた、とチャーリーは思い出したが……。それにしても景品になるものがない。台の上には、破れた紙風船が散らばっている。その下に何か見える。

 あった!!折紙だ!綺麗な折紙が、一セット残っていた。よかった。 「それではみなさん、最後の景品は、この折紙です。ジャンケンチャンピオンに贈ります。」

 通訳の後、チャーリーは頭の中で次の一手を考えていた。

「サイショハ、グー、ジャンケン、ホイ!!!」

 チャーリーは、Vマークの「チー」を出した。今までに、子どもたちが、「グー」を続けて出しているのが少なかったのを見ていた。案の定、「チーかパー」がほとんどだ。一人一人「アウト」を宣言していった。

 ところが、全員がアウトだ。

 まあ、いいか、これで終ろう、僕がチャンピオンだ、と思ったとき、舞台の段に坐った三才位の小さなブロンドの女の子がいる。子供たちに隠れてしまって見えなかったのだが、その小さなブロンドちゃんの指は、しっかり握られた「グー」だった。チャーリーは近づき、顔をのぞきこんだ。目がバイオレット(ブルー・ブラック)だった。

 「グー?」

 と尋ねた。ブロンドのバイオレットちゃんは、こっくり頷いた。

「ワッチュア・ネーム?………O・K!!!メアリー・ユアー・チュンピオン!」

 チャーリーはメアリーの右手を高々と上げた。会場から拍手がおこった。チャーリーはプレゼントを渡し舞台の端まで、彼女をエスコートした。

 西さんがチャーリーに言った。

「チャリー・マルサン、よかつたよ、感動的だったよ、すごい汗だ。」

 西さんは、正直言って、丸さんがそこまでやるとは思っていなかった。教師は、口は出すが実行しないことが多い。



 西さんはこの行事を完璧にやりたかった。自分のこれからの生活を賭けていた。西さんの旅行会社も、例のサッカー「ワールド・カップ」のチケット詐欺に巻込まれていた。入場出来なかった人には、全額返済し、しかも詫び金を手渡した。どの旅行会社も数億の赤字が残った。無論、彼ら営業マンのせいではない。不況の中、どの旅行社も必ず儲る話だ、と思って飛びついた計画は、詐欺師にとっては赤子の手をひねる程度のあまい計画であった。しかも、たった一人のフランス人プロモーターに引っかかった。長い間国際化が叫ばれたが、ほとんどの日本の旅行社は、海外に自分の組織や、ノウハウを持たず、他のプロモーターに委託し、その差額を儲けるやり方しか出来ない。

 今回、世界中で日本の旅行社が圧倒的に引っかかったのはそのためだ。甘っちょろい日本だと、西さんは思っている。そして挙げ句の果ては、西さんのように下っ端のサラリーマンが寝ずに走り回る。

 西さんはこの時、自分の一生で謝る分を謝り通した。地面に土下座もした。それからまだひと月だ。不況は、いつまで続くのか。西さんには、今、二、三の外資系の旅行社から引き抜きの話が来ている。西さんの人柄と、正確な仕事ぶりを評価している。この行事を成功させることは西さんの将来に関係する。

 聞くところに寄ると、今回のすずらん高校のこの行事に対して、学校内で全員の賛成はなかったらしい。いや、むしろ反対の方が多かったらしい。費用のこと、国外でやることなど、諸々のことがこの行事を進めるのに足枷(あしかせ)となっていた。もちろん、それは十二分に理解出来る。

 しかし、西さんは走り回った。儲けは度外視して、一旅行社がシドニーでどこまでやれるかの実験であった。むろん、業績に繋がる。やるしかない、のだ。

 そんなとき、丸さんが学校側の係になった。どこか間の抜けた、頼りない感じの教師だった。一緒に計画を立て、出演者の交渉をし、買いだしに行きなどしていると、彼が選ばれた理由が分ってきた。彼は、このような「行事・催し」が大好き人間であり、何にでもやる気があった。どんなところでもどんなことでも、物おじせずにやっていく。何にでも楽しみを見つける。西さんにそれが分ったとき、「鬼に金棒」として写った。

 丸さんは丸さんで、西さんの細かい計画と腰の低さに魅せられていた。彼とならやれる、そんな予感のようなものが走った。こういう「行事」の場合は、とかく表面的なセレモニーだけで、ただ無事に終えることだけを考える。が、西さんは、「感動的」なものにしたかった。誰もが、心のどこかに記憶として残るものにしたかった。それが、丸さんに伝わってきたのだ。二人は気があったのだ。丸さんは、金ぴかのタキシードを脱ぎながら、西さんの「実によかった」の言葉を噛み締めた。

 「………さあ、次の舞台に進もう、次は、学校関係だ。うあ、丸さん、えらい汗だ、ぼくが紹介しとくから、汗拭いててね」

 西さんが、マイクの前に進んだ。



   「それでは、ここで、それぞれの学校のパフォーマンスをご覧頂きます。まず、ロレット校によります、『歌とピアノ演奏』です。」

 ブルーの目、ブルネットの長い髪、小さなダイアのピアスがよく似合う高校生のグランド・ピアノの前奏で、二人のブロンドとグレーの髪の少女たちが歌い出す。清楚な装いと清らかな澄んだ声で、会場を魅了する。

 彼女たちは、昨年のコンクールで優勝したメンバーだ。賛美歌に似たメロディーでピアノの弦が絡まり、先ほどの「琵琶」とは全く異なる響きがある。

 日本の楽器が、「暗」ならば、ピアノは「明」にあたる。が、彼女たちは暗いオーストラリアの歴史から歌い始めた。柔らかい出だしから、強いリズムに、重い響きが軽やかなハーモニーに。彼女たちは歌い続ける。歌詞はこうだ。



「キャップテン・クック」が、このシドニーのボタニー湾に上陸したのは今から二百数十年前。

 その後、「流刑地」になり、悲しい歴史が始まった。

 百八十年前、かわいい羊達と一緒に我々の先祖が入植した。すぐに残酷な流刑は撤廃され、自由と労働が喜びであることを知る。

 すると、神は我々先祖に、大地から、水と食べ物と輝く石とをお与え下さった。それが二度目の悲劇となり、「白豪主義政策」がとられた。

 三度目の悲劇は、「第一次世界大戦」で四十万の人が、イギリス本土に渡り戦地に赴き負傷した。

 四度目の悲劇は、「第二次世界大戦」で日本との戦いで三万以上の人が負傷した。

 しかし、二十五年前から、私たちは変った。

 白豪主義は撤廃し、人間はすべて「平等」であり、「自由」であり、「平和」であることを宣言した。無意味な戦争は放棄した。この広い大地はみんなのもの、「自然との調和」、「世界との協調」、「宇宙との共生」。

 私たちは約束する、すべてが輝かしいものになることを。

 すべてが輝かしいものになることを……。



 歌と演奏が終った。

 会場に割れんばかりの拍手が起る。司会者が次を紹介する。

「つづきまして、ベネディクト校に寄ります、『校歌』を歌って頂きます。」

 十人ほどの生徒達が、舞台に並ぶ。プラチイムヘアーの少女がマイクに進み、挨拶をし、歌い出す。四つのパートに別れ、爽やかなハーモニーが流れる。歌詞はこうだ。



 私たちの学校は、最初「広い草原の中の小さな塾」だった。

 牧場の子どもたち、羊の放牧や鶏の世話や牛の乳搾り、ワイン作り、チィーズを発酵させ、大人達と共に働き仕事をしていた。

 「働くことの喜び」、今も私たちの学校の精神にはある。

 「教育」は「知識と心と身体」をつくる。

 どんなに物質文化が繁栄しても、『自分の心と身体で学ぶ』ことにより、『技術と知識』が共に宿り、人が『成長』する。

 神を讃え、学校を誇り、未来の世界に幸あれ。

 未来の世界に……。



「ミチコ、みんな綺麗な声で歌ってるね。」

   西さんが言う。ミチコが頷き聴きほれている。

 その横には、次のステラの生徒たちがスタンバイしている。シルバー色の身体にフィットしたコスチュームを着ている。拍手が起り、ベネディクトの生徒たちが舞台横に帰ってくる。司会者が、次を紹介し始める。ライトが消される。



「続きまして、ステラ校の『ダンス』で、題は『お天気』です。」

 二十数人のシルバーの少女が、舞台に二列、後ろの段に三列に並び、あぐらをかくように座り、両手を広げ身体を前の床に付けスタンバイする。緩やかな音楽が流れる。薄いピンクのライトが当る。シルバーが舞台の上に浮いたように見える。シルバー達は音楽に合わせて、広げた両手を大きくゆっくりと上下させる。まるで大空を『白鳥』が羽ばたくかのように。



 白鳥たちが羽ばたく。それは、爽やかな朝だ。朝焼けの太陽が微かに光を放つ。小鳥達が囀(さえず)る。草木も空気も目覚め、大地に活動が訪れる。西の空には大きな虹。

 が、西の空から大雲がわき起り、大地を覆(おお)いながら押寄せてくる。激しい風が吹き起り、木立が揺さぶられ、大粒の雨が一つ二つ。次には大群となって地面に打ち付ける。

 流れる川の水嵩(みずかさ)が増え、激流になる。北から白く細長い生き物が押寄せてくる。

 竜巻だ。どの方角に進むか明らかではない。左右によろけるように進む。大地の草花や幹を吹き上げながら進む。轟音(ごうおん)と共にすぐ側を通り過ぎる。大地の美を吸い上げ酬(むくいる)だけを残していく。

 荒れすさんだ大地。

 しかし嵐は細かな雨に変り止む。

 東の空から陽の光が差し、自然が蘇(よみがえ)る。生残った生命が、また息吹(いぶき)となって咲き始める。

 穏やかな夕方、西の空は夕焼になり、自然が眠る。



 シルバーは、初めの隊形に戻る。ステラの生徒達のダンスは、会場の人々を魅了する。絶大な拍手。

 「すごい!!」

 と、ミチコがマイクの前で思わず叫ぶ。

 司会者が言う。

「皆さん、ステラ校の全員に、もう一度盛大な拍手をお願いします。」

 会場は、又も割れんばかりの拍手と口笛が起った。シルバーが退場しても拍手が鳴りやまなかった。

 舞台横には「すずらん高校」の生徒達がスタンバイしている。舞台に整列する合図が西さんから出る。司会者はちょっと間をおいてマイクに言った。

「どうも有難うございます。次は、すずらん高校のみなさんに寄る、冬季オリンピックのテーマソングにもなりました、『和になって踊ろう』です。」

 カラオケのテープが流れ、八十三名の生徒が舞台の四壇を使い、整列する。

 セーラー服の生徒、はっぴの生徒、浴衣の生徒、それぞれが大声で歌い、振付けを付け、動く。

 彼女たちは、冬のオーストラリアとは逆に、真夏の暑い中で練習してきた。舞台横のクリちゃんが、落ちつかないようすで舞台を見上げている。

 「…………うおうおう、和になって、踊ろう、うおうおう…………」

   このサビの部分になると、オーストラリアの人々が一緒になって手拍子し歌い出す。

 この歌は、今、オーストラリアでは、「日本の歌」のひとつとして誰もが知っている。会場の子どもたちが、生徒と同じように左右に身体を揺すり、手拍子をしたり、両手を上げて左右に振ったりする。舞台と会場が一体となった感じがする。大拍手と共に会場は歓声の坩堝(ろつぼ)となる。

 司会者が、マイクの前に進んだ。


 「どうも、有難うございます。では、つづきまして、オーストラリア先住民族『。アボリジニー』の伝統的ダンスをご覧頂きます。普段アボリジニーの人々は、オーストラリア大地のちょうど中心にある、『エアーズロック』という『巨大な一枚岩』の側の居住区で生活しておられますが、今回この行事のためにわざわざ来て頂きました。」

 男性四人と女性二人が、筒状の二メートルはある木管楽器と三十センチ程の打楽器を持ち、身体に白い粉状のものを塗り、舞台に現れた。男性は、上半身裸で、腰には布が巻かれ周りに紐が吊るされている。女性は上半身から全体に布を巻付けている。

 文化交流会の女性が、ミチコに変って通訳する。踊りが始まる。舞台を踏みならし、木を打付ける音に合わせ、太い声を出しながら踊る。

 それは、彼らの「歴史」であり「神話」であり「生活の知恵」だった。



 この大地が、氷河期よりもっともっと以前、「我々の先祖」は生きていた。

 我々の先祖は長く強い足を持つ「カンガルー」から生れ、「隣の先祖」は鋭い目と大きな翼を持つ「カラス」から生れた。他の種族は、それぞれの動物から生まれた。

 「巨大な岩」は、我々の神が宿り住み、「聖なる地」である。

 我々の「先祖」は、我々に「生きる方法」を教えてくれた。水は、朝露を溜(したた)め、日照りが続いた時は、たろいもの蔓(つる)を探し、そこを掘れば水が涌いてくる。

 その場所に、「ドゥボイジア」の幹の汁を固めた「グイ(煙草)」をしっかり噛み、次に入れておくと、「エミー」や「カンガルー」や「ウオンバット」や「ワラビー」や「うさぎ」が水を飲みにやってくる。

 そして「痺(しび)れ」て動かなくなる。我々の「食料」になる。

 しかし、我々は、カンガルーは食べない、我々の先祖だから。

 隣の種族は食べる、先祖がカラスだから。

 それより「日照り」が続いたとき、少し「凹んだ大地」を踏み叩こう。

 一汗かいたところで、そこを掘れば、「蛙」がごきごきと泣きだして出てくる。彼らは我々の足音を雨音と間違えて出てくるのだ。

 彼らの腹には、雨期の時にため込んだ水が、たっぷり入っている。彼らの腹を押せば、水は飛び出してくる。

 蛙はまた穴に戻して土をかけよ。またいつか我々を助けてくれる。

 池や沼や湖がある所では、「ドゥボイジア」を水に入れ、太陽が少し移動すれば、「鰻(うなぎ)」や「鯰(なまず)」や魚達が浮いてくる。大きいものだけを持っていけばいい。小さいのはまた泳ぎだし、次に来た時に大きくなっている。

 「鼠」は、片方の穴に火を近づけ、いぶり出すと巣穴からやって来てくれる。

 「火」は大切な「神の化身」だ。だから、火種を絶やしてはならない。もし、絶やしたならば、隣の種族を探し、丁重に頼み、貰わなければならない。その時には、「蜜蟻」と「いも虫」をたくさん持っていけば喜ばれる。

 土の中の密蟻といも虫は美味しい。子どもたちと女に多く分け絶えよ。

 「エミーの卵」が見付かった時、みんなで踊り、分散し分け与えよう。

 神に召された者は、静かに大地に眠らせよう。神と共に我々を見つめ救ってくれるから……。



 西さんが、司会者の耳元で興奮しながら言った。

 「迫力あるね。文化交流会の田中さんが、招待してくれたんだ。見てご覧よ、会場のオーストラリアの人達を。みんな食い入るように見つめ、聞き入っている。彼らの中でもこのダンスを初めて見る人が多いんだ。よかったよ。こんなにすばらしいダンスと歌を聞けて。」

 司会者も同じ思いだった。

 ダンスの終りかけに、熱中の余り若いアボリジニーの一人の腰巻がはずれかかった。踊りながら括(くく)り直そうとしたが、うまくいかない。

 笑いが起り、怖い顔つきの彼の口から、白い歯が見えた。笑顔がかわいかった。ダンスは終了した。笑いの中に大喝采が起った。若いアボリジニーが手を上げて振った。また、大喝采と口笛が会場を埋めた。

 司会者も笑顔で次の出し物を紹介するためにマイクの前に立った。



 「有難うございました。本当にすばらしいダンスと歌でした。……つぎの出し物に移らせて頂こうと思います……次は日本古来の武道である『なぎなた』を紹介します。会場の中央をご覧ください。」



 太鼓の音が数度鳴りわたる。会場中央は、テーブルが片づけられている。会場全体が明るくなり、なぎなた指導員の前さんと樋さんが、二メートル四、五十センチはある、「なぎなた」を持って登場し整列する。

 すずらん高校のO・Gの前さんと樋さんの迫力あるペアーが、いくつかの型を披露する。

 「かまえ」の鋭い声と共に樋さんが上段にかまえ、前さんが胴を打ってきたところをうち払い「すね」を決める。ゆっくりさがり元の位置に戻る。

 前さんが下檀をかまえ、樋さんが「めん」打ちにいったところを「つき」で決める。それぞれの決めた時点で、その声が会場に響きわたる。観客を魅了する。

 最後は、試合である。防具を付けた、やはり、O・Gの原さんと福さんが入場する。中央で構え、礼をする。前ジャッジが「初め」の声をかける。原さんが先に「めん」打ちに行く。福さんが払い、「すね」を狙うが微かにはずれる。少しあって、今度は福さんが「こて」を打ちに行くが、原さんの切っ先が福さんの胴に付いているので、ポイントにはならない。自分の「なぎなた」だけが相手の、面・胴・すね・こて・のど、のどれかに一度は制止した状態で当って、それで初めてポイントになる。

 原さんが今度は、面からすねに打込み、「なぎなた」を持ち替えて逆すねに打ったとき、福さんの「めん」がきれいに決まる。白の旗が上がる。拍手がおこる。

 二回戦めは、激しい打合いになった。メン・ドウ・スネ果てはツキまである。二人とも真剣に試合をやっているのが伝わってくる。

 ジャッジも適当なところで勝ち負けは出さない。膝もとで何度も決めてになっていない、ゼスチャー(旗を交差させる)を見せる。休む暇などない。動きがある。迫力がある。

 女性のスポーツで、これほどの激しい格闘技的なものが世界中であるだろうか。老若男女、唖然と見つめている。

 最後は、二人が、がっぷり正面で組合いになり、原さんが離れ際にみごとに「こて」を決める。赤の旗が振られる。両人とも汗だくである。ジャッジの前さんも握った旗の棒がずるずるになっていた。


 この「なぎなた」一式をオーストラリアに持ち込むのに、西さんはどれほど苦労したことだろう。「なぎなた」そのものの説明文から、防具の説明、写真、をすべて用意して、京橋のオーストラリア領事館に何度も足を運んだ。

 上等の防具ほど、いたるところに柔らかな「鹿の皮」が使われているが、「何故鹿でないといけないのか」と言われ、説明するが、「鹿はだめだ」と言う。

 まあ、さんざんな目にあった。早い話が、オーストラリアにいない動物は、病気を持ち、国内に悪い病気や菌が持込まれる恐れがあり、それを防ぐ法律があるかららしい。結局、初心者が使用する安い「牛の皮」の防具だけが、許された。「牛」はオーストラリアが本場である。


 会場では、三本目の試合が始った。二本目より増して激しい試合だった。



日本では、五百年以上前から男性の武術の一つであった「なぎなた」は、江戸時代から女性の「技」として訓練され始った。男性の「剣道」に対する女性の「なぎなた」の位置に落ちついたのは、江戸も元禄以後であるらしい。武家の娘の心得として、「なぎなた」が書かれてある。鹿児島・長崎等九州方面では、今も各学校の体育の中に組込まれ盛んであるが、武家以外の農民等にも、「なぎなた」は指導されていた。


 余談であるが、江戸三百年の間に、日本人の身体像が、変形してしまったらしい。明治時代に来訪した、モースという学者が書いているが、日本人の大半(この場合人口の九十五パーセント以上の農民である)の体型は、膝を曲げ、前屈みに顎を出し、手を振らず、歩いていたらしい。

 そのスタイルはまさしく田植や稲刈りに適していた。しかも、回れ右が出来なかったし、後ずさりも出来なかったらしい。

 西南戦争で官軍、すなわち政府軍が薩摩藩に惨敗しかけるのは、鉄砲等もあるが、この体型の違いらしかった。

 政府軍は、全国の農民を集めわずかの武士で指導したが、農民あがりの軍人は、動きが先に示した動きしか出来ずだったらしい。

 西郷さん率いる薩摩藩は、武士も農民も武術を心得、男は「剣道」女は「なぎなた」をこなしていたのだから、勝負はおのずから決まるのも、いたしかたない。

 その後、明治政府は、現在全国の学校でやっている、「二列、四列縦隊、回れ右」を始めた。明治十八年からのことだ。



「すずらん高校」のなぎなたクラブは、大阪の長刀師範の山尾陽子先生のお嬢さんから始まった。お嬢さん「すずらん高校」に入学されて、学校に何度も申し入れされ、クラブか成立した。防具や長刀など必要なものはすべて山尾先生から寄付された。どのスポーツでも最初が大変なのだ。  丸さんもクラブ顧問になったことがあるが、冬の素足は、凍てついて耐えられない。しかし、それを耐えたなら、全国大会が待っている。それを乗り越えれば、素晴らしい未来がある。丸さんの次のイトウ顧問の時は、全国で優勝をした。「すずらん高校」は、なぎなたの名門校だ。  「なぎなた」の精神が、現代の高校生に必要ではないか、と思う。「なぎなた」バンザイだ。



 さて、会場の「なぎなた」の試合であるが、福さんが原さんの「すね」より一瞬早く「めん」を決めて白旗が上がった。

 会場のみんなは何がどう決ったのか、スピードと迫力で分からなさそうだが、白の旗が上がってほっとしていた。女性同士のこれほどの殴り合い・打合い・突合いは見ていられなかったのが、本音だったのかもしれない。何はともあれ、日本の女性の「強さ」と同時に「武道」を理解してくれたらしい。拍手が鳴りやまなかったのだから。



 司会者がマイクに近付こうとした時、一枚の紙が手渡された。

 「ロレット校の校長リーニーさんから、すずらん高校の校長にプレゼントがある」と書かれてある。司会者は、それを読みあげた。校長とリーニー先生が舞台のマイクに並んで挨拶をし、手に持った青い法被の中から、茶色の「カーボーイハット」が取出され、校長に手渡した。

「ここで、すずらん高校の校長が、みなさまにご挨拶があります。」

 校長は、ゆっくり英語で挨拶を始めた。

 この行事が行えたこと、大勢のみなさまが参加してくださったこと、に対する感謝を述べた。

 やや緊張した感じで、挨拶を続けた。

 後半、ふるえた涙声になった。この行事のために、一年間考え、調べ、調査し、出場者に合い、旅行社と打ち合わせし、学校関係者と交渉し、走り回ったことが一度に涌いてきた。感無量だった。

 拍手が起る。帽子を被ったままの校長の目頭が、光っていた。



 「いよいよ最後の『盆踊り』だ」

 司会者はマイクに近付いた。

 「それでは、みなさま、最後に、日本の伝統的、盆踊りにて、お開きにいたします。どうぞ、みなさま、会場中央で、大きな輪になってください。」

 通訳が入り、人々は動き出す。アシスタントのヒーさんがリードを取る。

 「炭坑節」の音楽がかかる。生徒達が、動き出す。なんとか踊っているみたいだ。暑い暑い大阪で練習した成果がでるか。

 オーストラリアの人びとは、生徒の真似をしながら動いている。何となく動きがつかめていないようだ。一曲めは、分からずじまいで、すぐに終ってしまった。司会者が言った。

 「ワンス、モアー。」

 二回目の「炭坑節」が鳴り始めた。手拍子を八回、掘って掘ってまた掘って、担いで担いで、さがってさがって、押して押して、開いてチョチョンがチョン。

 そうだよ、生徒達も思い出したらしい。講師の先生方も着物すがたで踊り出す。なぎなたの先生もみんな踊りだした。オーストラリアの人々も、ようやくコツをつかみだした。そして全員が輪になって踊ってる。

 「丸さん、やったね。」

 丸さんは嬉しかった。これが本当の文化交流、「和になって踊ろう」だ。曲は終った。大きな拍手が起った。司会者がマイクの前に立った。

 「本日はお忙しい中、ご来場頂き、誠に、有難う御座いました。どうぞ、お気を付けてお帰りください。これにて、お開きにさせていただきます。どうも、ありがとうございました。」

 通訳のミチコの声が流れる。拍手がまた起る。時間をみれば3時50分。ちょうど3時間の行事だった。



 「すずらん高校の生徒さんは、ホームステーと学校関係の方々と最後のお別れをし、出口までご案内下さい。後かたづけは四時三十分より行いますので、よろしく、お願いします」

 丸さんと西さんとミチコさんは、代る代る握手をかわす。文化交流会の人々も、握手をしあっている。

 BGMに「和になって踊ろう」が鳴り出した。生徒たちが歌い踊っている。

 「丸さん、終ったね、ありがとう。」

 西さんはちょっと涙声で言った。丸さんも同じ思いがこみ上げてきた。会場はそれぞれ思い思いに過している。

 周りを片付けた西さんと丸さんは、新鮮な空気を吸うために舞台から降り、会場を通って行った。



   至る所で生徒達が、ホームステーの家族と抱き合って泣いている。会場は涙、涙だつた。

 西さんも丸さんも涙がこみ上げてきた。

 「『国際化』もいいけど、やっぱり、『一般市民同士が交流』する『民際化』が一番だよ。」



 二人は表に出た。外は夕焼空になりかけていた。昨日までは、台風のような嵐が、このシドニーを襲っていた。雨風が人々を痛めつけていた。フェリーも欠航していたぐらいだ。

 それが今日は、朝から真っ青な空が顔を出し、爽やかな日になっていた、今の二人のように。やり終えた後の感無量が、こみ上げてきた。

 シドニー・タウンホール前の石階段のところで、煙草を取出した。

 通りは、シドニーでも中心街で人通りが多かった。今日は、「シドニー市民マラソン」あったが、その応援の帰りだろうか。

 その人々を見ながら、お互いに火を付合って一息吸った。

 頭の中がちょっとぼんやりしてきた。煙草のせいだろうか……。


 その時突然、一人の小学生らしい男の子が、丸さんに、握りしめた右手のコブシを突きつけ、何か分らない言葉を言いだした。

 「サッショグ!!サッショグ!!」

 「西さん、この子何を言ってるんだい?」

 「さあ、分らない、英語じゃないみたいだが………。」

 「ええと、こういうときには……ワット、ドゥー、ユー、セーだったか……。」

 「サッショグ!!サッショグ!!」

 「ワット………そうか、ワンスモア?パードン?」

 「サッショ、グー。サッショ、グー」

 「サッショじゃなく、サイショハ、グー、か?」

 「イエス、サィッショワ、グー!」

 「西さん、嬉しいね、『ジャンケン』をやろうって言ってるんだ!よし、やるぞ!

  サイショハ、グー、ジャンケン、ホイ!!」

 子どもたちがいつの間にか、集ってきた。次から次と参加しだした。

 「みんなで言うよ!最初はグー、じゃんけんほい、いいや、サッショグー、ジャンケンホイでいいや、『サッショグ、ジャンケンホイ』だ!」

「 みんな弱いねェ、チャーリーが勝ってばかりだ」


 その時だった。あのジャンケン大会のチャンピオン『ブロンドでバイオレットの目のメアリー』ちゃんがやって来た。

 彼女の片手には、『優勝賞品の日本の折紙』が、しっかり持たれている。家族と一緒に階段を降りて来た。彼女は、『バイオレット(ブルー・ブラック)』の『目』を、魅惑的に『ウインク』しながら、たどたどしい言葉で言った。


 「チャーリー!『……サ・ッ・シ・ョ・グ!!……ジャン・ケン……ホイ!!』」

 そして、メアリーちゃんは、右手を『大きく広げ』、振っていた。

 チャーリーは、その目に悩殺され、『握りしめた右手』を高く上げたままだった。

                                       おわり  

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2014・6・17より、新しいカウントになりました。)

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