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『 1年2組 学級日誌 』 (新長編小説)
・・・半世紀前の女子高校の学級日誌・・・
(昭和47〈1972〉年4月~48年3月まで)
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【11月22日(水)晴れ 8番 O・M】
だんだん寒くなって来ましたね。
けれど、夏のあの暑さよりは
耐えられます。
昨日の
「姫路」の遠足、
とってもよかったけど、
時間をもう少し欲しかった。
だって、
ゆっくり見物したかったし、
好きなんだ、
ああいう所でぶらつくのが、
帰りにお土産を買おうと
思って見ていると、
I先生がやって来て、
「こんな所なんかで買う必要ない」
とおっしゃった。
私は「こんな所につれて来たのは、
先生じゃないか」と思い、
さっさと列に入った。
ハッキリ言って先生を疑うわ。
この学校に来たのを
後悔している。
もっともっと
緊張したムードが欲しい。
ダレのムード。
勉強したいと思っている人は
見当たらない。
別に私はしたいわけじゃないけど、
このままでは、
だんだんあかん様になる。
(自分が一番悪いんだけど)
しかし、不安だ。
今一番 残念 な事は、
「美術部」をサボり過ぎて、
絵を途中までしか描けなかった。
だから、私学展 には出せない。
ダレのムードに
自分も酔い過ぎたのが悪い。
アーア、早く取り戻さなくては。
『オネーギン』
良かったわ。
感動した。
感想は長くなるから省略するけど、
中一の頃からロシア文学が好きになり、
時々暇を見付けて読む。
『オネーギン』以来、
「プーシキン」の大ファン。
昔は
「ゴーリキー」のファンだったけど、
今は、プーシキン。
トルストイやドストエフスキーは、
好きになれない。
ところで、
こんなことM先生に言ったら
絶対に絶対に
いけないでしょうけれど、
このまま胸に閉まって置くのは
嫌だから書きます。
私、先生は「先生」だと思う。
いくら頑張っても
「兄貴や先輩」にはなれないと思います。
生徒から見て、
相手(先生)は、
点数を左右する人である。
やっぱり生徒は、
良い所を見て貰いたいのが 本性。
「私としての理想」は、
高い立場から見て欲しい。
生徒としては、
やっぱり知られたくない事もある。
私達がまちがった道を
選びかけた時に指導する、
それがいいんじやないかな。
今の先生は人のプライバシーまで
入って来ている
(すいません)。
例をあげれば、
私のクラブの「美術」の事なんだけど、
私は私のやり方で絵を描く
(もちろん先輩の忠告はきく)が、
それを強引に
「見せてくれ」なんて言わないで下さい。
私の絵は、下手だし
見せるようなものじやない。
又、私の考えがあるんだわ。
別に何も思わないで
「イヤだ」なんて言ってません。
すいませんな。
けれど、私は心の中と反対に
これ以上行動をとりたくない。
何もかも話して、
真正面を向いて歩きたい。
(と言っても、先生がどう生きようと
所詮こっちは関係ないナ。)
中二の頃から、
一人で誰もいない教室で描いてた。
だいたい先輩・後輩なんてなかった。
この学校に来て、
こんな事を気付いて、
色々と先輩の意見を
聞くようになった次第で、
中学校時代のクラブでは、
自分の力で描いた。
高校に入って、このクラブに入部して、
抵抗を感じる。
気ままになりたいなんて思いはしない。
ただ、束縛されたくないんだ。
けれど、どこの学校に行っても同じね。
==========/========/===
同和教育のことだけど、
現実に差別は、やはりある。
私もM先生と同じ意見・考え方(「同情」は、
上からの目線)だ。
が、現実は厳しい。
どうすることも出来ない。
君が書いている
「先生は『先生』だと思う。
いくら頑張っても
『兄貴や先輩』にはなれない」だけど、
その通りだね。
反省している。
ぼくはお調子者だから、
ちよくちよく浮かれてしまう。
そして、チクリと刺されて、
しょげて膨れてしまう。
「55名+1名」で
頑張っていきます。