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『 1年2組 学級日誌 』 (新長編小説)
・・・半世紀前の女子高校の学級日誌・・・
(昭和47〈1972〉年4月~48年3月まで)
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【11月18日(土)晴 5番 U・N】
この前のHR(ホームルーム)の時間の
「同和教育」の事ですが、
中学校の時に
『人間』という本を貰いました。
その中に出ていた詩です。
重くともそれを捨てるまで
平田千代子
日差しと陰りの一線にあえぐ兄弟よ、
ほほを包み襟をたてないでほしい。
背を丸め大きな差別を負いたる姉妹よ、
重くともそれを捨てるまで、
もう少しだ
足を止めないでほしい。
ああつめたき都会の中のむら人よ、
涙がにじむとも
落とさないでほしい。
次代の子らに、
その涙を拾わせてはいけない。
部落の人々は、
部落民であるということを隠そうとし、
また、その事を恥ずかしいと
思っているみたいだが、
それは、自分自身で
差別しとていることに
なるのではないか、と思う。
部落の人は自分が部落民である
ということを言うのに、
すごく勇気がいるというが、
それは、他の人々が
変な目で見たりするからだろうか?
前のページに書いた詩の中に
「次代の子らに、
その涙を拾わせてはいけない」
と書いてあるが、
何も知らずに生まれてきて、
何の罪もないのに、
どうして
差別を受けなければならないのだろう。
どういう理由で
部落の人だというだけで差別するのだろう。
私には分からないが、
私達も部落の事だけでない
他のことでも知らず知らずの間に
差別をしているのではないかと思う。
それから不思議に思う事は、
どうして大人に
そういう教育をしないのか。
今の大人達は、
まだ封建的な考え方が
残っているのに、
いくら私達が両親に言ったとしても
無駄だと思うのです。
しかし、「次代」には、
差別はなくなっていると思います。
そう願います。
とても堅い話しになってしまいましたが、
一つ喜んでいる事は、
茶道 でやっとお釜で
させてもらえるようになったことです。
「茶道」などと書くと、
ずいぶん 温和しい子 だと
思われるでしょうが、
そんなことはありません。
とても「お転婆」なんですよ。
本当です……。
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教育はいったい何のためにあるのか?
君達は何のために教育を受けるのか?
ぼくは何のために教育をするのか?
「教育」それは、
人間が人間であるために、
人間がより人間的であるために、
人間がより生きるために、
人間がより幸福であるために、
人間がみんな平等であるために、
あるのです。
それがなければ何もなりません。
ただ「生きる」だけならば、
人間は教育を受ける必要はありません。
ただ「生きる」だけなら、
動物のように、
寝たいときに寝、
食べたいときに食べ、
走りたい時に走ればいい。
何故教育を受けるのか、
それは、
「より良く生きる」ためなのです。
平等でなければ、
より良く生きられません。
封建社会の異物である差別を、
我々の手で
無くさなければならないと思います。
島崎藤村の
『破戒(はかい)』ですが、
図書室に60冊入庫しました。
ぜひ読んで下さい。
以上