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『 1年2組 学級日誌 』 (新長編小説)
・・・半世紀前の女子高の学級日誌・・・
(昭和47〈1972〉年4月~48年3月まで)
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【11月15日(水)晴 2番 I・K】
今すごい 満足感 にひたってる反面、
すごく気が抜けたみたい。
「満足」しているっちゅうのは、
ヤッパリ[ 文化祭 ]で ワイ にとっては、
ぜいたく過ぎる 落語の初舞台 が踏めたこと。
「気が抜ける」ちゅうのは、
ヤッパリ 文化祭 も終わっちまって、
ちょっと 目標 のなくなった事から。
ホントに「 落研 」に入って良かったョ。
けど、これから 何したらいいのか なぁ。
家に帰っても
「晩飯」の支度するだけやもん。
明日のHR(ホームルーム)の
「同和教育」、楽しみです。
先生を初め大阪の子って言うと可笑しいけど、
他の子が同和教育をどう考えているのか、
早く知りたい。
私の住んでる奈良には
部落 が多いんですよね。
だから自動的に私の友達にも
部落 の人は多い。
私の友達のAちゃんは、
部落の子。
私はもとよりその子が
部落の子やって事は知ってた。
ある日、Aとゃん「私、部落の子やねんよ」と
私にポツリっと言った。
私は嬉しかった。
あの子にとっては
軽はずみに言ってはならない
大きな秘密?
そしてこれからの人生に
影響されるやら分からない
大きな問題を、私だけ……。
先生は知ってますか?
そしてみんなも知ってますか?
部落の人が
「ぼく(私)は部落民です」
の一言にどれだけの
勇気がいるのかを。
中3の時、
ふと身近に起こった部落差別から、
学校中の問題になりました。
中3の生徒320人が集まって
話し合った時、
一人の男の子が
「ぼく、ぼく……ぼくは部落民です」
と言ったと思うと、
その子の目に涙が光って、
もう何にも言えなくなつてました。
ある男の子なんか、
膝をたててそこに顔を埋めて泣きました。
ある女の子は
「私 なんにも悪い子となんかしてない!」
と叫んで泣き出しました。
どんな光景だったか文には表せません。
それにしてもみんなよく泣いたな。
現にめったに泣かない私でも泣いたんやから。
どうして泣いたのかな?
同情 だろうか。
部落の人は
「同情など知らない」って言う。
でも私達に
何ができるか?
「差別をやめましょう!」
と叫んで回ったら解決するでしょうか?
差別をする人を殺していったら、
差別する人は無くなるでしょうか?
ヤッパリ私達は 同情 ぐらいしかできないョ。
でも、中学の時ある男が言ったっけ。
同情の心が生まれて、
またその上に なんか乗っかって、
そこから真に
部落問題に打ち込むようになるのや、と
もう切りがないので終わります。
この日誌3回目だから、
もう回ってこないのかな……。
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「落語」、
本当に良くやりました。
ご苦労様でした。
土曜日・日曜日両日とも大入り満員でした。
教室の三分一は机を並べて毛氈を掛けた舞台、
残りの三分の二に、
机を50脚並べ
教壇部分は立ち見で
20人位だけど、
もう身動き出来ない超満員。
すごかった。
それに、1年2組の3人娘の
人気と言ったらバツグンで、
部屋の中に入れないお客さんが、
ワンサカいてはった。
無事に全員の落語が終わって、
何となく全てをやり終えたという 充実感と
感動 が心の奥から飛び出して来た。
全力を尽くして何かをやる、
これ以上この世において
素晴らしいものがあるだろうか。
何かをやる、
そして何かを終える。
これが 人生の最高の喜び だろう。
「三無主義」
そんなものは何処にもない。
あるのは、素晴らしい思い出と
ほんの少しの 虚脱感。
この虚脱感だって、
一晩過ぎればもうなくなって、
本当の素晴らしい 青春 の思い出が、
人生に高く高くそびえたっている。
これが 青春 だろう。
話しは変わって、
「同和問題」で、
ホームルーム授業でも言いましたが、
「同情する」というのは、
上から下に向かってなされるものなので、
「同情」ではなくて、
一緒になって今の社会のある世代の
封建形態を持った人達の観念を
直して行かなければなりません。
人間は、全て 平等 です。 以上