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『 1年2組 学級日誌 』 (新長編小説)
・・・半世紀前の女子高校の学級日誌・・・
(昭和47〈1972〉年4月~48年3月まで)
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【11月9日(木)曇時々雨 55番 W・T】
昨日から 虫歯 が痛み出した。
しかし、歯医者には行けない。
何故ならこんなに大きくなっているのに
一人で行くのが 心細い からだ。
では、母と一緒に、
これも今日はダメだ。
仕方なく薬を飲んで
無理して学校に行く。
1時間目の数学は何とか受けたが、
2時間目から 歯痛 が 頭痛 に
変わってきたようだ。
頭の芯がジーンジーンとして
書道の時間、
好きな字も思うように書けない。
6時間目が終わるのが
待ち遠しかったが、
ようやく終わって家に帰ろうとした。
校門を出た頃までは
何とか覚えているが、
少し歩き出すと向こうが
見えなくなって来た。
しばらく目をつむって
道端でジッとしていたが、
「こんなところでどうしょう」と思うと、
急に中学校の頃が懐かしくなった。
誰かが先生に連絡してくれる。
そしたら先生がすぐに来て下さる。
家も近いと思った。
しかし今はそんなわけにはいかない。
ほんの少しの時間だったが、
長いように思った。
しばらくすると
向こうが見えるようになったので、
歩き出した。
幸いいつもの電車に乗れた。
あいにく天気も悪い。
電車を降りると小雨だったのに、
家の近くまで帰ると雨風になって
家に帰った。
すぐ服を着替え
夕食は普通に食べたが、
急に顔が熱くなり
熱が有るように思ったので、
すぐに寝たがだんだん熱か上がり、
それから何も覚えていない。
「11月10日 晴れ」
この日誌、この日も私が持っています。
お許し下さい。
目を覚ますとまだ頭がずきずきする。
熱も相当ある。
水枕もすぐ熱くなるので
祖母は夜三時頃まで
ずっと側に付いていてくれたらしい。
母は二日前から
東京に行っている。
奈良県の先生を代表して発表する。
母に知らせれば心配して
今日の発表に差し支える、
と思って電話をせずにいる。
他府県にまけたらいやだ。
「おばあちゃんありがとう」
お母ちゃんは今日のために、
夏休みもそこそこに頑張ったんだもの。
どうかお母ちゃんしっかり発表して下さい。
私も苦しいけど我慢するよ、
と言ったけど、
やっぱり病気の時は私の側にいてほしい。
夕食を頂いたら、少し元気が出てきた。
明日は学校に行けそうだ。
「文化祭」だけど、
あまり騒がずに静かにしていよう。
もうあんなに苦しい風邪引きは御免だ。
お休みなさい。
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今日は、13日月曜日です。
文化祭の代休です。
11日・12日の「文化祭」は終わりました。
君も病気で大変だったね
(54番のYKさんも病気になり、
みんな疲れがいっぺんにやってきたみたいだね。
くれぐれも身体に木をつれて下さい。
と書いているぼくも、
文化祭が無事に終わって、虚脱感と疲労感でぐったりてす。
もう何もする気がしない。
文化祭成功だった。
学校に来場なさったお客さんがこれまでで一番多かったそうです。
そして「フランクフルト」も「落語研究会」も大成功だった。
みんなやるだけやった。
これが素晴らしいのだと思う。
みんなが一緒になって何かをする。
そこにもっとも大事なものが隠されている。
やる事によってその大事なものを見いだしていくことができる。
青春って素晴らしい。
ただし、昨日12日日曜日の午後2時の
何者かの「爆弾予告」の電話。
学校にかかってきた「脅迫電話」には驚いた。
まさか「JK」にそんな電話がかかってくるなんて……。
前代未聞だ。 以上