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『 1年2組 学級日誌 』 (連載小説)
・・・半世紀前の女子高校の学級日誌・・・
(昭和47〈1972〉年4月~48年3月月まで)
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【6月27日(火)雨 3番 I・Y 】
再び日誌が回ってきました。
頑張って書こうと思っていますが、
初めから嫌なことを書いちゃいます。
この頃、すごく疲れている。
何故なら、朝5時に起こされ、
ギュウギュウのバスと電車約1時間、
学校に行ったら、もうクタクタ。
帰りもギュウギュウの電車30分、
バスは朝よりギュウギュウの
スゴイラッシュ。
家に着いたら5時40分。
身体がグッタリです。
でも、学校にいる時は、
とっても楽しい。
だんだん学校に慣れてきたし、
友達もたくさん出来た。
クラスのみんなは明るい人ばかりで、
笑いが絶えない。
このクラスになって
とっても良かった。
私の幼稚園からの友達が、
この「JK」女子高校の8組に2人いる。
この「JK」には、
同じ中学校から私を入れて、
3人入学した。
この3人は、
富田林市の小さな村から来た。
幼稚園全員40名、
小学校全校生徒200名、
各学年のクラスは
1クラス。
要するに、
幼稚園から小学校卒業まで、
40名全員ずっと一緒のクラス。
卒業で思い出したけれど、
卒業式の数日前に
A君のお父さんが亡くなられた。
そして卒業式の時、
私達は
「答辞」をみんなで前に出て読みました。
その時A君は、
「僕達を育ててくださったお父さん」と言いました。
そしてお母さんのいないA子さんは、
「私達を育ててくださったお母さん」と言いました。
B君は、A君のお父さんのお葬式の時、
鉄の棒と棒の間に足が挟まって、
足の骨を折ってしまいました。
だから、卒業証書は、
先生が段から降りてきて、手渡されました。
一斉に会場のみんなが泣きました。
卒業式の最後に、
私達の担任の先生(女)が、みんなの前で、
「……こんな事になったのも、
すべてこんな運命だったのです。
でも、それだけに、
私達は忘れることがないでしょう。
いや、忘れてはいけないのです。
私は、非常に素晴らしい
卒業式だったと思います。」
と言われました。
私は、今思い出しても涙が出ます。
中学校も1クラスで
3年間過ごし、
高校は、みんなそれぞれの学校に入学し、
バラバラになりました。
でも、私達3人は、
「JK」に合格し、入学しました。
私だけは、2組で、
二人は8組です。
でも、二人は、
私をうらやましがります。
1年で「2組」が、
「一番まとまっていて、
明るいし、と
ても良いクラスだ」
と聞いているからです。
このクラスは、
「和」があります。
「強い意志」があります。
これからもこれで行きたいです。
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君の「小学校」の卒業式が、
どんなに素晴らしいものだったかが、
目に浮かんできます。
参列者の卒業生と先生と家族全員が、
心を一体にして
卒業式を行ったことが分かります。
多くの卒業式が
形だけで終わってしまうのに、
君の小学校の卒業式は、
お互いがお互いの心を労り、
励まし、前進している。
なんと素晴らしい事だろう。
君たちがこの「JK」を卒業するときも、
同じようであってほしいと願います。
そのためには、
高校生活を十二分に充実したものでなければ、
出来ないことです。
例えば、毎日をいやいや生活したり、
学校に対する不満だけを持っていたり、
友が出来ずのままであったり、
3年間の高校生活で
何かこれだと言えるものを持たずに生活したり、
いわゆる、
毎日を充実した状態でなくて
3年間を過ごしたならば、
卒業式の時、
心の底から泣くことは出来ないだろう。
1年2組の諸君、
2年と半年後の卒業式には、
こころから泣けるように、
毎日を努力しょう。
話しは変わりますが、
君の一日の時間の使い方が、
君の身体を疲れさせている様に思えます。
毎日の計画表を作成して、
規律正しい生活に変えてみてください。
計画表が出来たなら、
見せに来てください。アドバイスをします。
以上
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