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・・・・・・ 小論文・・・・・・

『小論文の書き方 』

1 小論文とは何か



小論文とは、文字どおり小型の論文ということである。

したがって、400字から1200字程度の分量を持ち、

論理的に筋が通っていなければならない。

また、作品は、誰に読まれても

一応一定の受けとめ方をされるような、

客観性のあるものといえよう。

 作文は、知識・判断・思考力・人生観など

広い裾野(すその)に支えられた力の表現であるから、

短期間の養成は困難である。

平素から、多くを読み、深く考え、

書き慣れるための努力を怠ってはならない。

また、誤字・脱字がないように

繰り返し漢字を勉強しておく。



2 小論文の要件



一、文章を貫く主題が明確になっていること。

(人に訴える何かがあるか・中心思想は明確か)

筆者の主張が表現されていること。

すなわち、書き手の述べようとする結論を

すべて表現するかに心をくだくのが、

論文の中心課題である。

そのために、普段から次のような日常の

トレーニングを実践しておくこと。

 a、スクラップメモをつくること。

(新聞・雑誌・テレビ等の情報・資料は宝物)

 b、冷静に物事を見ていること。

(日常生活から問題点を探す。

「なぜ? どういうこと?」)

c、イエス・ノーの立場から箇条書きすること。

(ディべート)

 d、自己の立場を決定すること。(主張・立場)

 e、反対の立場もよく見ること。


二、文章は段落によって構成されていること。

段落はものの考え方の一つのまとまった単位であるから、

論が展開するためには、

いくつかの段落を構築することによって

全体をまとめることになる。


(構成メモのとり方)

   1、テーマの絞り込み

(テーマを「イエス・ノーで答えられる設問」に転換する。)

   2、中心テーマの決定

(自分が関心のある題材を決定する。)

   3、検討(イエス・ノーの両方から

思いつくことを箇条書きする。)

4、主張・立場の決定

(自己の立場を決定する。)

   5、分析(自分の出した結論・方向性を、

現象・定義・対策・理由・結果・歴史に分ける)

   6、体験談の例示

(自分の経験のなかでの関係を考えてみる。)

基本構成

 a、三段落(序論・本論・結論)

 b、四段落(起・承・転・結)

c、その他 (文章資料を与えられた場合は、

要約は1で意見は2の割にする)

図表の場合、科学的・客観的な分析態度で、

仮説・推論・検証の手続きをふむ。

専攻分野の場合、

志望適正・関心度・意欲を試す意図がある。)


三、「事実(根拠)」と「意見」の

二つの要素が入っていること。

 論文に「事実」だけ書いたのでは、

主題を表せない。

逆に「意見」だけでは独断的な主張となり、

これでは読み手を説得することができない。

この二つの要素を

明確に使いわけることが大切である。

  a、体験談は説得力がでる。

 b、スクラップメモを活躍させる。

c、その他


四、書き出し・文末の工夫

書き出しは、読み手を誘い込む

キャッチ・フレーズのようなものであるから、

できるだけ端的で、

だらだらしないものにする。

 1、自分の主張(結論)から書き出す。

 2、論点をしぼって書き始める。

 3、名句・ことわざなどの成句から始める。

 4、具体的な事実から筆を起こす。

 5、a、「文字」は「顔」である。

読みやすい字で丁寧に書く。

H・Bを使用する。

   b、書き出しは短く書く。

「私は……」と書かない。 

  c、文中に「……など」「……とか」「……というもの」などは、

目障りになるのでひかえる。

また、話し言葉は使用しない。

   d、終わりは、「である・だ」調を使うこと。

「……と思う」は強調の時のみ使う。

他は「……であろう」とする。



A、主張の型(四段落基本構成)

  起、主題の提示

……私はAのように考える。

  承、主題の正当性を示す根拠(証明)

  ……なぜならBのように考えられるからである。

  転、予想される反論とそれに対する反論

……人は、あるいはCというかも知れない。

    (反論への顧慮(こりょ))

しかし、それに対してDという事実もある。

  結、結論

……だからAと考えるのである。



(例 1 )

起、

クラブ活動はわたしにとって、

対人関係のあり方を学ぶ貴重な勉強の場である。

  承、

なぜなら、先輩や後輩の間にまじって、

自分のなすべきことを

いつも考えさせられるからである。

転、

ひとは、あるいはクラブの中の

上級生と下級生の関係を

封建的だというかも知れない。

 しかし、この年齢からくるけじめこそが、

わがままを押さえ、円滑な対人関係を

身につけるチャンスなのである。

  結、

だから、クラブ活動で身につく

「人への接し方」は、

私にとってかけがえのないものである。



 (例 2 )

起、

友人との素朴なつき合いこそが友情だ。

  承、

「走れメロス」の例にみられるような友情は、

恐らくないのではないか。

  転、

あるいは「友人のためなら死んでもいい」と

本気で言える人があるかも知れない。

 しかし大部分の人は

こんな考えを持っていないだろう。

  結、

友情とは特別なものではない。



(例 3 ) 真の友情

友情というと、何か特別なもののように

考えてしまいがちである。しかし、

決してそうではない。

友人との素朴なつき合いこそが

真の友情なのである。

友情を主題とした文学作品として、

よく太宰治の「走れメロス」が取り上げられる。

この小説中に繰り広げられている友情という

厚い絆(きずな)で結ばれている。

メロスの身代わりとなり命を捧げて死刑台で立つ友人。

定刻に間に合うために必死に走り続けるメロス。

互いに許し合い偉大な友情の美しさを見せて物語は終わる。

「友人のためなら自分の命さえ惜しまない……

それが真の友情である」と語っている。

  しかし、現実の問題として、

「友のためには命も惜しまない」と

こころから思える人はどれほどいるだろう。

あるいは「自分は親友のためなら、たとえ死んでもかまわない」と

本気で言える人がいるかも知れない。

いても決しておかしいことではない。

むしろそれがわれわれの理想なのだ。だが、

実際に大部分の人はこれほど美しい理想に

殉(じゅん)じることはない。

親でさえもわが子をしばしば見捨てたり、

虐待死させているのである。

  絵に描いたような典型的な親友を持っていなくても、

真の友情は存在する。日ごろの、

友人とのさりげない語らいの中に、友情はある。

友情とは、何も特別に深刻なものでなくてもいいのである。

「走れメロス」に描かれている精神は極端な例である。

もしも、これだけが真の友情であるときめてしまったら、

友情にめぐまれる機会はあまりにも少ないものとなる。

毎日の友との素朴なつきあいそのものが、

まぎれもない真の友情なのだと私は考える。



B 具体から抽象の型

(新聞のコラム欄・随筆)

  起、総説

……話題全体の大まかな内容紹介(全体の前書き)

  承、経験した具体的事実

…具体的で興味をひき、説得力のある材料

  転、一般論

…事実で述べた特定の限られた体験を、

誰の話題として通用するような一般化された、

普遍性のあるものに高める。

  結、結論

……述べたいことをしめくくる(主張)



(例 1 )

起、

最近自動販売機を見て思うことがある。

  承、自

動販売機は、時間を問わず、

相手を選ばず、効率のよい売り手である。

そのために買う方もこの機械に甘え、

黙っていて用を足すことがたび重なってきている。

そのためか店員から商品を受け取るときにも、

めったに「ありがとう」と言わない人が多い。

  転、

私たちは便利な機械の普及で、

あいさつ言葉を喪失しているのではあるまいか。

ロボットからものを受け取りロボットに商売をまかせる。

そこに効率のよさがあるが、

大事な人間関係は失われつつある。

結、

つとめて挨拶をし、

人に語りかけようではないか。



(例 2 )  子供の自治


昔から、子供のけんかに親が出てくる、

ということはよくあった。そのよくある話である。

先日、小学校二年の娘が、

遊びに来た三人の男の子と留守番をしていた。

そのうちに一人の男の子がはしゃぎすぎて、

他の三人に制止されたが、どうしても言う事を聞かない。

そこで全員の意見で家の外に出された。

男の子は靴もはかずに駆け足で帰っていったらしい。

その後である。泣いて帰った男の子の母親が訪ねて来て、

子供達を叱(しか)りつけて帰った。

おさまらないのは残った子供達である。

本人に責任があることなのだ。それにだいたい、

「親が出てくるなんてしらける」というのである。

そして、今度の作文に書くという。

毎日生じるような小事件であるが、

ここにちょっと考えたい問題が含まれている。

子供が成長する過程で、家庭と学校は二大影響力であるが、

もう一つ子供どうしという第三の世界がある。

この世界で、子供達は、

自由に人と人の間の関係を形成する能力を養う。

先のケースでは親さえ出て来なければ、

子供たちは互いの間のやりとりを通じて、遊びの限度や、

不快を感じたときの表現の方法を学んだうえ、

つぎの日はケロッとして、前の日と同じように

新しい遊びをはじめるであろう。しかし、

作文に書く子が出ては、先生まで巻き込んでしまうし、

多少はシコリも残す。

われら親は、

子供達にもっと自治を与えねばならない。

その自治が、社会人としての協調性や

政治的自発性を養うのである。

    (雑誌「PHP」三九四号より)



C 問題解決の型

(新聞の投書欄・NHK「クローズアップ現代」)

起、現状(問題点)の紹介

……現状についての具体的で正確な事実や問題点の紹介

  承、原因・理由の考察

…論理的で筋道の通った原因や理由の分析

  転、反論への顧慮

……読み手が疑問を抱くと予想される反論

  結、解決法の提示

……吟味した内容の解決策の提示



(例 1) 学歴社会と不正合格


先日、A医大で不正な合格者選抜が行われていた

という記事を新聞で読んだ。それによると

入試成績が十位以内でも寄付金がないと不合格で、

最下位から三番目の成績でも、

寄付金が多いと合格にしたそうである。

「世は金しだい」とは言うが、

正直者がバカをみるようなこの話を知って、

大学進学のために精いっぱいの努力をしている私は、

憤りを感ぜずにはいられなかった。

起こってはいけないこのようなことが

なぜ起こるのか。その原因は、

学力よりも私的営利を重んじた

大学側の道理にはずれた考え方にあり、

いま一つは大学への志望者のものの考え方にある。

 確かに、私立大学は国からの資金だけでは、

不足するであろうから、他の大学のように

初めから入学金に組み込んで、全員から同じ金額だけ

正当に徴収すべきであって、A医大のように選抜段階において

合否の判定に寄付金の多い少ないを導入すべきではない。

こういうこと自体、もうその大学の存在の意味に

誤りがあると言われてもしかたがない。

高学歴社会と言われる現代、

大学ぐらい卒業していないと、就職や結婚のとき困り、

逆に、良い大学に入ってしまえば、

後はどうにでもなるという考え方がある。

こういう学歴偏重の社会においては、

このたびのA医大のような例が今後も起こるにちがいない。

大学では、入試合格後の指導のあり方について考えるとともに、

大学間で入学金の基本線を定め、

それ以外の寄付金や追加金を認めないなどの

具体的な対策が必要である。

また違反に対する厳しい処置も欲しいものである。

また、大学に進学する私達も、

何のために大学へ行くのか、

自分の努力なく、お金を積んで大学に入ることが

どういう意味を持つのか、

一度考えてみる必要があるのではないだろうか。

    

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